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初詣は、上野の寛永寺に行きました。

その前に、昨日の2日は、県南で有名な千勝神社へ。
千勝神社には、毎年行っているので今年も。

ただ、今年は自転車で行ってみました。
しかも普段とは違う道を利用。

牛久沼の一部を渡る橋を今になって発見。
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茨城に住むようになって大分経ちますが、この様な橋があることは知りませんでした。
橋の真ん中から沼を望むと、大自然の中にいるよう^^

藤代まで望むことが出来ます。
えっちらおっちらと、寄り道しながら走行したので、往復40キロほど走りました。

しかも・・・
ママチャリで!!

もっと突っ走れる自転車が欲しい・・。

そして、今日3日は、上野の寛永寺に行ってきました。
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なんとなく思いつき訪れた寛永寺でしたが、タイミングが良くて参拝した直後に僧侶による祈願法要があり、法話も聞くことが出来ました。

あまり知らなかったので大変勉強になりました。

寛永寺は、元々は徳川家の菩提寺ではなく、祈願寺ということで建立されたということでした。
当時の境内は広大なもので、御徒町の松坂屋の辺りから日暮里駅の辺りまでだったそうです。

東叡山ということで、比叡山とも関係があるそうです。
寺の位置についても、比叡山延暦寺が京の都の北東という鬼門を塞ぐ位置にあるのと同じで、寛永寺も江戸城の北東に創ったとのことでした。

上野の山はかつては松ばかりだったそうですが、民にも親しみを持って境内に訪れてほしいということで、天海僧正が京から桜を取り寄せて植え替えたのだそうです。

現在、上野公園で花見が出来るのは天海上人がキッカケを作ってくれたからなんですね。

あと、江戸から見たら、京や大阪は憧れの地だったが簡単に行くことの出来る距離ではなかったので、不忍池を琵琶湖と見立て、琵琶湖と同じように浮島を作り弁天様を祭ったのだそうです。

小さい頃は、散歩コースになっていた上野界隈ですが、そのような経緯で色々なものが創設されていたとは知りませんでした。

徳川家の菩提寺は元々は増上寺ですが、4代将軍以降、寛永寺にも埋葬されるようになり、今では寛永寺・増上寺共に菩提寺だという話をされていました。

初詣の後は、御徒町のとある店で釜飯!!
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とても美味しかったです!!

あけましておめでとうございます。
本年も皆さまに幸多き一年でありますことを願っております。

年越しは、近所の氏神様を祭る神社にお参りに行きました。

うちの近所の氏神様は、大きさこそは「ほこら」と言って差支えのないような小さなものですが、歴史は古く、946年創建のようです。

鳥居の外ではかがり火が焚かれ、参拝した地元の人たちに焼き鳥や甘酒が振る舞われます。

これは、年明け早々の元旦に行ってきました。

昼間は、じっとしているのも詰まらないので、映画を見に行きました。

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スターウォーズ「フォースの覚醒」
3部作の第1弾なんですね。

スターウォーズを劇場で観たのはかれこれ、エピソードⅠ以来。
元日から休みの時間を満喫しています。

前記事「少し早いけど今年を振り返って」の中で、たまに旅に出ることについて触れました。

普段の生活から少し離れてみる事が旅に出る目的ですが、旅に出ている間は、「自分はなぜ音楽をするのか」「誰のために音楽をするのか」ということを考えます。

この話題に触れると、内容が暗いものになってしまいますが書いてみたいと思います。

私の生活はある日を境に一変しました。
もう何年も前の事です。

自分自身に走った激震で、何がどうなってるのか全く分からない期間がしばらくありました。
しかし、その激震に立ち向かわなければならなくなり、そこから精神的な長い闘いが始まりました。

それでもレッスンは中断することが出来ないので、とにかくレッスンを続けました。
そういう時期でも演奏の仕事は入ってきます。

その頃の自分はボロボロでした。
精神的には弱くない方だと思っていた自分ですが、東海地方での演奏があったとき、生活が一変してから初めての新幹線に乗りました。

ですが、新幹線のホームに上がっていき新幹線を見ると、自分の精神が崩れていくのを実感しました。
なぜかは書くことは出来ません。

当然、その日の演奏はボロボロでした。
過去最悪の演奏だったと自分で思います。
でも、自分では「よくプログラム一通り弾き終えるまで座っていられた」と思っています。

それから、半年くらいですが、ある曲をひたすら弾いていた時期がありました。
「最後の日の夜明けに」・・・。

愛好家の方ならどういう曲がご存知だと思います。
特にエンディング・・・楽器が壊れるかというくらい弾きました。

今、それを思い出しても怖く感じるのですが、きっと、自分なりに何かを捨て去りたかったのだと感じています。
作曲者には申し訳なく思いますが、この曲は、この先、舞台でも自宅でも弾くことは二度とないと思います。

そんな中で、ごく近しい、事情を知っている方の中で、ある言葉をかけてくれた方がいます。

「明けない闇はありませんから頑張ってください」

・・・・ある時、友人があるところに連れていってくれたことがあります。
そこには、たまたまレジャーで訪れていた体格の良い男性2人がいました。

そこで何か1曲をということになり、「11月のある日」を弾きました。
弾き終わると、屈強な男性が涙を流しているのです。

そのとき、自分が音楽をする意味を深く認識した気がします。
それからしばらくの間、11月のある日を弾くときには、苦しくて肩や腕も泣きながら弾いている感覚でした。それよりも前の時期は、もっと攻撃的で速い演奏で「11月じゃなくて8月」と冗談で言われることもありました。

でも、そういわれた時でも、自分の精神を見透かされている気がして、凄い感性の方だと感じていました。

今年の7月のコンサートでは、その曲を一番最後に弾きました。
色々な想いが詰まっている曲ですが、コンサートに駆け付けてくれた方の顔を見てから、気持ちを込めて弾きました。

後日、生徒が、「11月のある日が前と比べて大分明るくなりましたね」とねぎらってくれました。
これまた、気持ちを見透かされているようで変な感じがします。
きっと、以前のような泣いている「11月のある日」は、もう弾けない気がしています。

自分が音楽をするのはなぜか・・・。
誰のために音楽をするのか・・・。

自分にとっては、楽しむためではない・・・。

楽しさや、悲しさ、辛さ、いろいろあると思いますが、寄り添うため・・・。

精神的にどん底を味わったからかどうか分かりませんが、最近、そんな気がしています。
もちろん、楽しむ音楽もしていきたい・・。

乱文読んでいただきありがとうございます。

ギター文化館でレッスンをした後に、ミュージックプラントに移動。
ミュージックプラントのレコーディングスタジオに少しだけ籠ってきました^^

A.R.C.のCD制作をそろそろ・・・
ということで、少しずつ動き始めました。

考えてみたら、ミュージックプラントのレコーディングスタジオを利用するのは初めて。
バンドネオンの啼鵬さん、ボーカルの山下亮江さん、私・角圭司での録音も初めてです。

今日の録音は、試し録り。
バランスやその他諸々、どのような感じになるのか知りたいのと打ち合わせのためのセッション。

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エンジニアの大谷さんと、ボーカルの山下さん。

マイクのセッティングをしている時に、前々から思っていた質問をしてみました。

ボーカル用マイクの前にかざしてある、あの丸い道具。

網戸を切り抜いた物の様にも見えるし・・・
植木鉢の底に敷く、泥が逃げないようにするための網・・・
はたまた、これが白いと、金魚すくいの時に使うポイのようにも見える・・・

あれです。

私は、歌うときのツバ避けかと思っていました。

ですが、その意味もあるけれど、本来の用途は、空気が直接マイクに当たらないようにするためのものだという事でした。

セットされていたのは、網状の物でしたが、網の形状によって、空気が斜めに流れていき、マイクには音だけが到達するというものだそうです。

勉強になりました。

風が吹くほどの手の動きをしているわけでもありませんから、ギターでは使いませんもんね^^

本録音が楽しみになるひと時になりました。

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空き時間にメンバーでパシャリ。

ボーカル、バンドネオン、ギター。
なかなか良い組み合わせだなと思います!!

茨城県阿見町でクリスマスコンサートが行われ、出演しました。
阿見町では、音楽で元気をつける事業というものが行われています。
町全体で音楽で盛り上げようというものです。

私は、本郷ふれあいセンターで出演させて頂きました。

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私が演奏した曲は以下です。

タンゴ・アン・スカイ(ディアンス)
ソナチナ(トローバ)
星に願いを(ハーライン)
羽衣伝説(藤井敬吾)

地元の生徒さんが何名も駆け付けてくれてとても嬉しかったです。
また、ほとんど満員の会場で、地元が音楽で盛り上がるのはとても嬉しく感じます。

筑波大学のギターマンドリン部の学生や、ゴスペルのグループも参加しました。

どうもありがとうございました。

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