先日の神戸でのコンサートで、打ち上げである方と話をしていて、人との繋がりで色々と拡がっていくという話題が出ていました。

先日のコンサートもその他の様々な事もそうですが、人と人との繋がりが少しずつ蓄積されて物事が動いたりします。
その繋がりは目には見えない形であったり、ずっと前の事が気持ちとして存在していて繋がることも。

今日は9月11日ということもあるので、この日にまつわるコンサートでの事を綴ってみたいと思います。

遡ること17年。
2001年9月11日。

当時学生だった私は、実家からの電話で起きました。
米国では午前9時前位でしたでしょうか。「起きてテレビをつけてみて」という言葉に促されてテレビを見てみると間もなくニ機目の飛行機が世界貿易センタービルに激突しました。
それからの出来事は皆様の知るとおり。

当時のアメリカの街中は混乱していました。

学校の授業は休講。
カフェテリア横のテレビには学生が鈴なりの様に群がっていて、中には泣いている学生もいました。

そんな時節を経て行きましたが、あまりの無力さながら、何か動く事は出来ないものかと悩んだ末、一通のメールを書きました。

「自分は学生で金銭的に何か出来る力がないが、留学しているこの地で勉強している音楽を使って力になれたら」という内容。細かい文面は覚えていませんが、こんな趣旨でした。

ただ、どこに送ったら良いかも分からず、悩んだ挙げ句に送信した先が日本赤十字社。

お返事はしばらく待ってもありませんでしたが、それから数カ月経った頃、ある一通のメールがニューヨーク大学の方から届きました。私はその内容を見て驚きました。

「まだチャリティコンサートをする気持ちがありますか?」

という問い合わせでした。
日本赤十字社に送ったメールの返事が、何ヶ月も経ってからニューヨーク大学の方から来たので、流れを理解するのに時間がかかりました。

チャリティコンサートは、出演者、スタッフ全員が費用を自前で携わるという事で動き始めました。

スタッフは、その方の他に、ヤマハ関係、フジテレビ関係、ギター関係の方等が集結しました。
演奏は、いくつもの国の出身者が集まりました。

告知には、フジテレビ関係、紀伊國屋書店様が力添えをして下さり実現に至りました。

イメージ 1

イメージ 2

集まった寄付は、ニューヨークのUniformed and Firefighters Associationsに全額寄付し、悔しくも犠牲になってしまった消防隊員のご家族のお子様に学用品費用として納めました。

イメージ 3

イメージ 4

Uniformed and Firefighters Associationsも協力をして下さり、当日の舞台に幟旗を掲げました。

そのようなイベントとなりましたが、日本赤十字社ではなく、なぜニューヨーク大学関係から連絡が来たのかを後に聞いたところ、こうお聞きしました。

日本赤十字社からあちこちに私のメールが転送されていったそうです。
ニューヨーク大学のその方が私のメール転送を受け取った時には、Fwという転送を示す文字がいくつも連なっていたそうです。

この中のどなたか一人でも、転送を停めていたら実現しなかった。

私は、その事を知った時、チャリティコンサートを実現出来た裏に、見えない所で多くの方々の思いが繋がってきたことが本当に嬉しく感じました。

私には、途中転送してくれた方々の名前も分かりません。ですが、人との繋がりを本当に大切にする人が多くいらっしゃる事が嬉しく感じられました。

音楽だけでなく、物事にはこの様に見えないところで色々な思いが確実に存在します。

そういう素敵な皆様と音楽をしていけているのは本当に幸せな事だと思い、この投稿をしました。