少し前に備忘メモをしていた内の一つ。
WTC(世界貿易センタービル)の追悼チャリティコンサートの様子をブログで紹介して欲しいという要望を帰国して間もないころから何度となく受けていました。

チャリティについては、あまり宣伝するものでもないと思い、紹介するのは控えていたのですが、今まで頂いている声にお応えし、コンサートを行った経緯について書いてみたいと思います。

2001年9月11日。
アメリカ合衆国で発生した同時多発テロ。

当時は音楽院3年目の学生でした。

その日は、日本の実家からの電話で起きました。
「そっち大丈夫なの??テレビつけて!!」

という内容でした。
寝起きでいまいち状況が分からない私はテレビをつけてみました。
その数分後、2機目の飛行機があの世界貿易センタービル(以下WTC)に突っ込む映像を目にしました。

まるで映画か??と思ってしまうような映像でした。

しばらくテレビにくぎ付けでしたが、自分のその日の授業の時間が近づくと、「学校は通常とおりか休校か?」という疑問も沸いたので、2ブロックの所にある学校に向かいました。

ダウンタウンで交通の激しい通りもパトカー以外走っていません。
学校に着いてから知りましたが、ボルチモアにも世界貿易センタービルがあるため、狙われる可能性も踏まえて外出禁止令が出されていました。
ですので、帰りはパトカーに見つからないように気をつけながら歩いた記憶があります。

学校のカフェテリアにあるテレビには学生が鈴なりの様になっていました。

従妹や知人がWTCで仕事をしているという学生も何名かおり、泣いている学生もいました。

そして、NYだけでなく、ワシントンDCでもペンタゴンが狙われました。
当時のギターカルテットメンバーの知人が、ペンタゴン勤務で、丁度飛行機が突っ込んだ辺りがその人の事務室。
しかし、早く出勤して時間に余裕があったから外でコーヒーを飲んでいたそうです。
そのため、その知人は無傷だったそうです。

このような話は、当時はいくらでもあったはずです。

同時多発テロ後、自分に何か出来ることはないか考えました。
募金をしようにも、学生でとてもそんな余裕はありませんでした。

何かしたいという気持ちと資金がない狭間で、色々と考えた末、あるところにメールを送りました。

送信先は、日本赤十字社。

細かい文面は覚えていませんが、以下のような希望を送りました。

「自分はボルチモアに音楽の勉強に来ている。募金する力はないが、音楽で励まし合い、集まったお金を募金したい。」
という趣旨です。

適所かどうかも分からないまま送信し、少し待っても返信は来なかったので、次第に返信の期待も薄れ、日常生活に集中する日々が再び回り始めました。

それからどの位経ったでしょうか。
数か月経っていたかと思いますが、ある日突然、ニューヨーク大学の方からメールが来ました。

チャリティコンサートの発案をしているのはあなたですか??
という確認の内容でした。

日本赤十字社に送ったはずの返事がニューヨーク大学から来るとは夢にも思いませんでした。

後の打ち合わせ時にお聞きしたところ、私が送ったメールは、赤十字社からあちこちに転送され、協力出来る部署があるかどうか何か所も転送され続けていたのだそうです。

この連絡を送って来て頂いたのが高橋裕次さん。

2002年3月に一度NYまで打ち合わせに行きました。
移動には、グレイハウンドというバスを利用しました。片道大体4時間程です。
この時は日帰りでした。

バスでは英語を全く話せない中国人が私の隣に座り、自身の目的地にどのようにして行って良いか分からないから教えたりもしました。このやり取りはすべて筆談(笑)。
互いに漢字は分かるから、なんとなく言いたいことが分かったんでしょうね。

私も初めての渡米では英語が全くダメで、飛行機が欠航になってしまい日本人に助けて貰った経験があります。その日本の方からは、「角さんが英語を覚えたら、英語を話せない人がいて困っていたとき助けてあげてください。それが私に対する恩返しです。」という言葉を頂いていたので、少しだけ恩返しが出来た気もしました。

話は逸れましたが、3月の打ち合わせでは、私含めて5―6名集まった記憶があります。
高橋さんの他、ギターの長野剛さんもお力添えしていただいたことは光栄でした。それからフジテレビ関係の方など。
各分野のエキスパートが集まりました。


会場は、マンハッタンにある教会が、無料で貸して頂けることになりました。
演奏者、スタッフ、経費は全て自己負担ということを条件に、プロジェクトが動き出しました。
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演奏者は、日本だけでなく多国籍にしたかったので、何名もの仲間に声を掛けましたが、皆快く参加を表明していただきました。
演奏は、ラファエル・パドロン(キューバ)、クリス・ダン(アメリカ)、ソーヨン・パーク(韓国)、ヘレン・バン(韓国)、角昌子&角圭司

メディア関係の有志もあったため、宣伝は幅広く行っていただくことが出来ました。
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上の写真は、朝日新聞国際衛星版2002年4月13日号です。

告知演奏として、4月13日と14日には、NYの紀伊国屋書店ででも演奏させていただきました。
肝心の寄付先ですが、私の父が消防関係だったこともあり、ビルに救助に入った消防隊員のご遺族のお子さん達に文房具・学習道具の費用に充てていただくという名目で、NY消防協会に募金することになりました。

WTCでは私の記憶が間違っていなければ300名以上の消防隊員が殉職しました。
そのニュースを見た当時、いてもたってもいられない自分がいました。

以下は、当日プログラムです。
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消防協会がコンサートのために、会場に掲げるためののぼりを貸し出して下さいました。
こののぼりを見たときには、気合が入りました。

上の写真は終演後の有志達。
皆さんそれぞれ、その道で活躍されている方ばかりです。

集まったお金は後日届けられたと連絡が入りました。
「連絡が入った」というのは・・・

顔合わせや告知演奏、コンサート当日と三度NYまでを往復したので、募金をする日には、私にはNYまで足を運ぶお金がありませんでした。
有志の方々が数名で届けてくれたのです。

当時の文具等を使っているであろうアメリカの子供たちも、もう大学生以上くらいになっていることでしょう。
懐かしい想い出であると同時に、思い出すと「まだまだ頑張るぞ!!」というエネルギーも沸いて来ます。