前記事「少し早いけど今年を振り返って」の中で、たまに旅に出ることについて触れました。

普段の生活から少し離れてみる事が旅に出る目的ですが、旅に出ている間は、「自分はなぜ音楽をするのか」「誰のために音楽をするのか」ということを考えます。

この話題に触れると、内容が暗いものになってしまいますが書いてみたいと思います。

私の生活はある日を境に一変しました。
もう何年も前の事です。

自分自身に走った激震で、何がどうなってるのか全く分からない期間がしばらくありました。
しかし、その激震に立ち向かわなければならなくなり、そこから精神的な長い闘いが始まりました。

それでもレッスンは中断することが出来ないので、とにかくレッスンを続けました。
そういう時期でも演奏の仕事は入ってきます。

その頃の自分はボロボロでした。
精神的には弱くない方だと思っていた自分ですが、東海地方での演奏があったとき、生活が一変してから初めての新幹線に乗りました。

ですが、新幹線のホームに上がっていき新幹線を見ると、自分の精神が崩れていくのを実感しました。
なぜかは書くことは出来ません。

当然、その日の演奏はボロボロでした。
過去最悪の演奏だったと自分で思います。
でも、自分では「よくプログラム一通り弾き終えるまで座っていられた」と思っています。

それから、半年くらいですが、ある曲をひたすら弾いていた時期がありました。
「最後の日の夜明けに」・・・。

愛好家の方ならどういう曲がご存知だと思います。
特にエンディング・・・楽器が壊れるかというくらい弾きました。

今、それを思い出しても怖く感じるのですが、きっと、自分なりに何かを捨て去りたかったのだと感じています。
作曲者には申し訳なく思いますが、この曲は、この先、舞台でも自宅でも弾くことは二度とないと思います。

そんな中で、ごく近しい、事情を知っている方の中で、ある言葉をかけてくれた方がいます。

「明けない闇はありませんから頑張ってください」

・・・・ある時、友人があるところに連れていってくれたことがあります。
そこには、たまたまレジャーで訪れていた体格の良い男性2人がいました。

そこで何か1曲をということになり、「11月のある日」を弾きました。
弾き終わると、屈強な男性が涙を流しているのです。

そのとき、自分が音楽をする意味を深く認識した気がします。
それからしばらくの間、11月のある日を弾くときには、苦しくて肩や腕も泣きながら弾いている感覚でした。それよりも前の時期は、もっと攻撃的で速い演奏で「11月じゃなくて8月」と冗談で言われることもありました。

でも、そういわれた時でも、自分の精神を見透かされている気がして、凄い感性の方だと感じていました。

今年の7月のコンサートでは、その曲を一番最後に弾きました。
色々な想いが詰まっている曲ですが、コンサートに駆け付けてくれた方の顔を見てから、気持ちを込めて弾きました。

後日、生徒が、「11月のある日が前と比べて大分明るくなりましたね」とねぎらってくれました。
これまた、気持ちを見透かされているようで変な感じがします。
きっと、以前のような泣いている「11月のある日」は、もう弾けない気がしています。

自分が音楽をするのはなぜか・・・。
誰のために音楽をするのか・・・。

自分にとっては、楽しむためではない・・・。

楽しさや、悲しさ、辛さ、いろいろあると思いますが、寄り添うため・・・。

精神的にどん底を味わったからかどうか分かりませんが、最近、そんな気がしています。
もちろん、楽しむ音楽もしていきたい・・。

乱文読んでいただきありがとうございます。