今日は数字の不思議な話です。

 まずはじめに言っておきますが、私は変な宗教やカルト的なことは信じていません。




 平成22年の春ころ、私は、無性にあるところに行きたいという欲求にかられました。それは、私にとって大事なことが始まった時期でもありました。


 その行き先は屋久島の縄文杉です。

 なぜか、急に行きたいという気持ちになったのです。前々から漠然と行ってみたいなとは思ってはいたのですが、特に予定を計画しようとも思ったことはなく生活していました。

 行きたいと思ったその日には、飛行機も宿も予約していました。予約は4月の下旬。ゴールデンウィークの直前の旅行となりました。
 今でも、なぜ、突然行きたくなったのかは分かりません。ただ、縄文杉に何度か行っている友人は、

「きっと呼ばれたんだね」

と言っていました。なぜか、縄文杉を訪れる人は「行く」という表現よりも「呼ばれた」という表現を使うことが多いように感じます。それだけ神秘的な場所だということでしょうか。


 屋久島はパワースポットで有名な地ですが、なにか関係があるのでしょうか。

 私はパワースポットというような話しについてはあまり興味はなかったのですが、「呼ばれた」という表現にはなんとなく頷ける思いでした。


 その時のブログ記事は以下です。







 我が家には、ラッキーナンバーというものがあります。

 その数字は「22」です。

 
 もともと「22」は、実は、家にとっては悪い数字でした。祖父の代の時にあることがきっかけで、「22」が因縁のあるような数字となってしまい、22日とか、22という数字が付く時には悪いことばかりが起きました。確かにぞろ目の数字は一般的には良い印象はあまりないかもしれませんね。

 祖父が営んでいた店が、隣の火事からもらい火をして焼けたのが22日。私の母が手術をしたのが22日。ほかにもいくつか悪い大きな出来事があるのは「22」に関わっている事がいくつもありました。

 そして、祖父がなくなるとき・・・


 病院で、祖父の最期を家族全員で見送りましたが、亡くなった時間が・・・






 午前2時22分。


 「22」という数字について、これはやはり何かの因縁だということを家族皆で感じていました。


 しかし、祖父の代で始まった悪い意味での「22」は、祖父がなくなる時に一緒に払拭してくれたような展開になりました。


 それからというもの、「22」に関する時は良いことが起きるようになりました。

 大学の合格発表、その他良い知らせなど、日常の細かいことでも22日に良いことが増えたのです。



 私は、カルト系のものは信じません。

 しかし、この不思議な出来事以来、「22」という数字には思い入れがあります。



 
 さて、屋久島の話に戻しますが、東京から飛行機と船を乗り継いで、屋久島の宮之浦というところに着きました。
 屋久島滞在一日目は、午後に到着したので特に予定は入れず、街の散策をしました。

 しばらく歩いていると益救神社に行き当たりました。旅から帰宅して調べてみると、屋久島では中心的な存在の神社だそうです。
 敷地に入って案内を読むと、



由 緒: 益々救って下さる神様「救の宮」又掖玖島(屋久島)が龍宮であるとして「一品宝珠大権現」として広く尊崇されております。
 

と書いてありました。

 なんだか、自分の置かれている状況のために来た様な神社だなと思いながら、まずはお参りをしました。そして、縄文杉まで行ったら、帰りにもう一度寄ろうと決めたのです。


 旅の3日目に縄文杉へのトレッキングをしました。

 早朝3時頃起床。宿で朝と昼の2食分の弁当をもらって、登山口に向かいました。
 
 片道11キロのコースです。


 上記に貼り付けた当時のブログ記事のように、午前5時半過ぎに荒川登山口から入り、トレッキング開始です。本格的なトレッキングは初めてでした。11キロ中約8キロはトロッコ電車の線路を歩いていきます。途中で沢を何度も渡りますが、線路の真ん中に木の板を敷いているところを歩くのです。
 景色は本当に素晴らしいところばかりです。


 片道約4時間半で縄文杉に到着しました。

 往路はほとんど休憩をしないで飛ばしたので、到着時はほとんど人がいませんでした。ひとつ驚いたのは、地元の人と思える人が登っていること。登るだけでは特に驚きはしないのですが、ワイシャツにスラックスというどう見ても装備なしの格好。手にはペットボトル1本だけ。その人が、縄文杉到着の少し手前で追い越していったのです。しかも小走りで。相当足腰が強いのでしょう。あっという間に私を追い抜き、見えなくなってしまいました。そして、私が縄文杉に着く前にはその人は下ってきて、すれ違って行きました。そのときも小走りでした。すごかったです。



 樹齢2600年とも、説によっては7200年とも言われる縄文杉。感動の一言でした。根の端から端までは50メートル近くもあるという巨木です。

 まだ後続の登山者が来ないので、座って30分ちょっと縄文杉を見つめていました。なんだか縄文杉が「お疲れ様。よく来たね。」と言っている様にも感じます。


 復路、そんな幻想と言える不思議な事を感じた後は、疲れているはずなのに足も軽くなり、気持ちもとても軽くなっていた自分があります。

 きっと、縄文杉に会うというのは、自分の中の何かを捨て去るために行ったのだと思います。

 
 そして、下山後、その足で益救神社に再び向かいました。
 
 お参りをして、それから、横にあるおみくじを引いてみようと思いおみくじの箱まで行きました。



・・・・・・・





絶句です。。。





・・・




セルフ方式でおみくじを引くようになっているのですが、口のところにおみくじが1つだけ出ているのです。これを納めなさいと言わんばかりに・・・。



なぜ、絶句なのか・・・。





そのおみくじの番号が見えています。




「22番」





震えました。


 手に取るのが恐くてしょうがありません。しかし、きっとこれこそ何かの因縁だと思い、それを受け止めなければいけない気になり、その22番のくじを引きました。
 もう、どちらか分かっています。大吉か凶しかありえないことを。おみくじの中身を見るのが恐かったのは初めてです。



そういえば歴史で、明智光秀が本能寺に向かう前におみくじを引いて、連続で「凶」がでて、その後、あえなく散っていったという話も思い出しました。



 もちろん、歴史と私は関係ないですが、出る内容によっては精神的に大きく左右されそうだと思いながら、おみくじを開きました。


 その紙面を広げてみると・・・




「大吉」

!!!!

 問題の文面を見てみました。すると、



待ち人 → 来ます
争いごと → はじめ悪いが後に勝つ



と書いてありました。

イメージ 1


この2つの文言。私にとっては思いつくのは1つしかありません。


 ずっと耐えてきていて強さを少しずつでも付けてきているつもりでしたが、さまざまな気持ちがこみ上げてきました。 

 敷地には、大社祭の準備でテントを張っている男性が2-3名いるだけでひっそりとしていましたが、縄文杉に会いに行き、この益救神社でお参りをしておみくじを引く。これが、自分が急に屋久島に行きたくなった理由なのかと感じました。
 まさに、友人が言っていたように、「自分はここに呼ばれてきたんだ」と思った瞬間です。

 それにしてもこの「22」と言う数字。後から思い起こすと、登山口から縄文杉は片道11キロ。往復にすると22キロです。それから、帰りの飛行機の座席も22番でした。


イメージ 2



 
 重ねて言いますが、私はカルト的なものは信じていません。しかし、このときは目に見えない何かがあるのではないかと思いました。

 それは、その後のある節目である日でも見受けられました。

 私とタッグを組んでくれた方が引き受けてくれたのが平成21年12月22日。それから、ある大事な書類の日付けが22日。

 さらに、その節目となった平成23年4月18日、家を出て最初にすれ違った車のナンバープレートが「2222」。行き先での予定が13時でしたが、現場に着くと、担当の方も昼食が終わったと思われ車で駐車場に入ってきました。田舎ですから駐車場も狭いのです。その方が乗っていた車のナンバーが「4122」。これは「良い22」と読めます^^。

 嘘でしょ・・。と思うようなことが、このようにあったのです。



 そしてその日に聞いた結果内容は、「見たことのない世界目ざす」ことをあきらめなかった結果だったのかもしれないと思いました。


 そして、自分の思いに再び小さな翼を装着し直し、その後間を置かずして再び離陸し、Extra Flightに突入していきました。





 それから、再び1年が過ぎました。
 間もなく再着陸します。

 どんな所に着陸するのでしょうか。

 最後の雲を突き抜けるまでまだ見えません。