2011年03月

所用があって、ひたちなかまで行ってきました。


国道6号線を北上していくと、水戸が近くなるにつ入れて、道路や建物が損壊している箇所が如実に増えていきました。

特に高架などの継ぎ目などでは、土を盛ってアスファルトを敷いている部分が下がり、橋の部分が浮いた形になっているところがいくつもありました。

勝田市に入ると、4-5階建てのビルの一階部分が潰れて車が潰されているのがあったり、パチンコ店の壁が落ちてしまっているところなど、水戸周辺を境にして北側は被害が大きかったということを知りました。


私は見ていませんが、勝田市役所の敷地にある高さ20メートルほどの煙突も倒れたそうです。


報道ではあまり出てきませんが、水戸などの茨城北部やそれよりも北の地域や沿岸部は大変な被害にあったということが分かりました。


ガソリンスタンドも、水戸あたりを境に閉店しているところが多くありました。


久しぶりに車で出かけ、思わぬ地震の爪痕を目の当たりにしてきました。

3月11日に地震が発生してしまったので、スペイン旅行のアップが遅くなってしまいました。


2月28日からスペインに行き、3月9日に帰国しましたが、旅の前半は先日紹介したような感じでマドリッドからリナレスに行って演奏を行いました。



3月5日からは、国際ギターコンクールの審査をするため、リナレスからサティステバンという街に移動しました。リナレスから車で約1時間くらいのところにあるオリーブに囲まれた街です。リナレスやウベダ、それからサンティステバンの地域は、オリーブの首都ともいわれる程の世界的なオリーブの産地だそうです。

私は、オリーブの実はあまり好きではなかったのですが、サンティステバンでは大粒でとても甘い実で、とても美味しく食べることが出来ました。


実際にサンティステバンは小さな街なのですが、コンクールには世界各地から参加者が集まり、とてもレベルの高いコンクールでした。結果は3位まで東欧地域の参加者で占めました。


スペインだと、コンサートなどが時間通りに始まらないことがよくあると聞いていましたが、コンクールでも時間通りに始まらないということを、審査する側として体験しました。

コンクールは予選も本選も2日連続で午後4時からなのですが、午後までホテルで待機していると、2時過ぎに主催者が呼びに来ます。呼ばれて、会場に向かうと思いきや「昼食に行こう」と誘われ、車で少し行ったところのレストランへ。


頂いたのはコース料理ですが、午後4時近くなっても、メインが出てきている状態で、どう考えても4時開演には間に合わないというタイミング。結局、食事が終わって会場に着いたのは5時前。コンクールも5時に開始となりました。

逆に参加者もそれを分かっているので、会場全体がとても和やかな雰囲気の中でコンクールが進行していました。


イメージ 1



審査結果については、1位と2位は全員一致ですんなりと決定。3位も割る程度票は割れましたが、すぐに決まりました。
しかし、本選の6名ともとても上手でした。



コンクールが終わり、7日には、午後にマドリッドに戻って半日観光する予定にしていました。しかし、最後に予想外の焦った展開がありました。

電車の切符は数日前に前もって特急電車をリナレスバエサ駅からマドリッドアト-チャ駅まで予約して購入していました。
主催者にもその折を伝えて、リナレスバエサに送って貰うことになっていたのですが、当日の朝になって、「自分の家から近い駅があるからそっちに送ってあげる」と。

そうなんだ、と思って送って貰い、駅に着くと、電車の時間の表示がされていません。

主催者(Eさん)が、駅員に聞くと、私が予約している電車はその駅には停車しないことが判明!!


もう、その電車はリナレスバエサに到着する10分ほど前になってしまっています。


Eさんは、とても焦り、車でリナレスバエサ駅まで向かうことに。

とても間に合う時間ではないのですが、ショートカットするためにオリーブ畑の細い道に入り、オリーブの中を100キロくらいの速さで疾走していきます。

急いでリナレスバエサに行ってくれましたが、結局電車には間に合いませんでした。こうなっては仕方ないので、次の電車にするしかないと思って、次の電車の時間を聞くと、、、

「6時間後」

・・・・


イメージ 2




 駅は、リナレス市からも離れたところにあるので、駅の周りにはなにもありません。駅にも小さなカフェがありますが、閉まっていたので、ベンチでひたすら6時間が経つのを待ちました。


マドリッドに着いた時には、午後8時過ぎになっていました。


結局、マドリッド観光は次回のお楽しみにということになってしまいました。

 今回のスペインでは、ひとり旅でしたので、夜はホテルでのんびりとテレビを見たりしていましたが、サッカーの試合をいくつも見ました。

 レアルマドリードのロナウドは本当にすごい選手だと思いましたし、12番の選手(名前は覚えていません・・)もすごかったです。また、バルセロナも強いなと思いましたが、帰国して、地震の発生後の試合で横断幕に日本を励ますメッセージが掲げられていたのをニュースで見たときには、とても親近感が湧きました。

 バルセロナには、日本の選手は一人もいないのに、今世界の多くの人たちが日本を応援してくれていることに、スペインで知り合った人たちや、アメリカの友人たちが心配してメールを送って来てくれることに、本当にうれしい思いでいっぱいで、国や文化が違っても人は皆、同じ気持ちを持ち合わせることが出来るということに、とても嬉しい気持ちにさせられます。


 また、頑張って行きたいと思うスペインツアーになりました。

 ここ最近、多くの曲をコピーして練習しています。


 その理由は、まだ公にはしていないので秘密ですが(レッスンでは少々話に出したりはしていますが)、スペインの作曲家を中心に、古典、バロックも幅広くやっています。なにせ、準備しなくてはならない曲数が大変多いので、練習しながら自分でもうまく準備が進むのか不安があります。


 コピーには、コンビニを利用するのですが、うちの地域では大分品切れ状態も解消してきていて、ガソリンも半分以上のスタンドが開いているので、ようやく安心して車で出かけることが出来るようになりました。


 この近隣には、多くの畑が広がっているのですが、畑を眺めながら走っていると、現在の野菜の出荷制限が出ているニュースが頭をよぎります。

 あくまでも、私の個人的な感想ですが、水道水のことについても野菜についても、よく報道を聞いていれば、全く問題のない数値であるのに、過剰反応しすぎだなと思います。国の暫定基準値を超えたといっても、健康に支障が出る可能性のある数値よりははるかに低い数値であるのに、野菜の出荷制限や、摂取制限。それから、水道水の影響での水の買占めなど、まだ、このレベルで神経質になるほうがよほど精神的にもマイナスである気がします。

 情報を公表させようとする国民の希望とは裏腹に、公開されてくる情報をきちんと理解しなければいけないということが私たちに課せられている課題だと言える気がします。
 そのことは、事態が進んでいくと、飲食物は手に入りにくくなって、値は上がるだろうし、国民が自分で自分の首を絞めていくことにもなりかねないなあと感じてしまうわけです。


 今回の大震災で思うことは、ニュースで流れてくる範囲で感じることですが、政府だけが「メルトダウン」しないで、リーダーシップをきちんともって貰いたいですね。

地震が起きて7日が経ちますね。


東北の被害状況をテレビで見ていると本当に辛い思いがします。

それと同時に、テレビでは報道で流れてきませんが、茨城や千葉の海沿いでも被害が出ているようです。聞いた話によると、大洗では、津波により中湊の魚市場が洗われてしまったそうです。ここは、度々おいしい魚を買いに行くところでした。それから、大洗のアウトレットモールは一階の店舗がやはり洗われてしまっているそうです。


 そして、ニュースでも盛んに流れている原発の状況。


 私の生徒さんに東電の方がいます。


 彼から電話がかかって来た時に話していましたが、現在、大勢の部下が福島に行き、現場で闘っている若い人たちと交代するために、退職の時期を延ばして駆けつける検討をしているとのことでした。その理由は、「若い連中はまだ将来がある身で、自分たちはもう定年だからいくら被曝したっていいから」ということを直に話で聞いた時には、なんと声をかけていいのかも分かりませんでした。ただ一言「無事に帰ってきてください」としか言えませんでした。

 この様に、現場では、皆が命をかけて私たちのために闘ってくれているのです。

  
 ニュースで言っていることを冷静に分析し、過剰反応は避けて行動することが求められています。


 皆で、とにかく応援しましょう。
 

 そして、不要な買占めは戒めるべきです。ニュースでは、西日本でも買占めが起きているということも報道されています。西日本は逆に支援する側であるはずです。
 
 今の東日本には、食べ物で人を苦しめる人はいません。現場で頑張っている人たちに少しでも物資が届きますように。


 

 

 今回の地震の報道を見ていると、本当に自然の怖さというものを実感することができます。

 私は、家もレッスン場も無傷で済んでいますが、被害の酷い地域の様子をテレビで見ていると、とても胸が苦しくなる思いです。


 太平洋岸の北茨城市には、よく演奏会でお世話になっているところがありますが、今日連絡をとることが出来、無事だということを知った時は安心しました。そこは、海から300-400メートルくらいしか離れていないのですが、国道6号線が防波堤となったようです。しかし、話によると津波で犠牲になった人がいるようでした。

 
 そんな中、沢山の友人からメールや電話を頂きありがとうございます。また、ピーボディ時代の友人たちからもメールが来た時には、とても嬉しい思いがしました。そこからは、絆を大事にするということがいかに大事かということを改めて実感します。
 

 少々レッスンの日程の変更はありますが、様子を見て火曜日くらいから通常に仕事を始めたいと思います。

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