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3月9日の夕方から、松岡滋さんとリハーサルをしました。
4月13日に日暮里のサニーホールでコンサートを行いますがそのためのリハーサル。

昨年9月に関西で演奏した佐藤弘和さんの「2重奏の楽しみ」全12曲。

合わせはとてもスムースに進行し、終始楽しい!!
楽器・ジャンル関わらず、リハの準備段階から楽しめるって最高です。

松岡さん、そして同じ舞台で出演もしていただける北崎さんにも感謝感謝。

翌10日は、早朝からさらに西へ。
前から行ってみたかった竹田城に向かいました。

少々のトレッキングも見込んでいたので、天気が気になっていました。予報のとおり、道中は雨がぱらつくところもありました。

しかし、この具合の空模様は、むしろ良い方に働くのではないかと内心期待がありました。
なぜなら、向かう竹田城は雲海の中に浮かぶ「天空の城」として話題があるからです。

雲一つない快晴だと雲海は臨めそうもない。
むしろ、少し天気が不安定なくらいの方が良いのではないかと思っていました。

そうしたら、希望通りの天気。

まずは、早朝に竹田城の反対側にある立雲峡に行きました。
竹田城の全景を見るのに適している場所です。
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県道から立雲峡へ向かう小道に入るのですが、小道に入ってすぐに工事中の掲示。

「こりゃだめか・・・」
と思いながらガードマンに話しかけると、「車では通行できないが徒歩なら工事現場の中をあるいて抜けて構わない」とのこと。

工事関係者の車と並んで駐車し、トレッキングシューズに履き替えました。

工事現場は道路の幅の拡張工事で、靴が泥だらけになりながらも通過させていただきました。
途中、ユンボが作業していましたが、作業しているユンボのアームの下をくぐって抜けるように言われ、その通りに歩きました。が、くぐる間もユンボの操作を止めることもなく(笑)、運転手が合図を出してくれて、その合図のタイミングでくぐる。

立雲峡の入り口まで10分ほど歩きました。
さて、立雲峡にある第1展望台までは30分ほどのトレッキング。

第1展望台まで登ると、竹田城の全貌が見えました。
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雲海に巡り逢うことは出来ませんでしたが、雲が少しだけ浮かんでいました。
その中に浮かぶ竹田城は幻想的。

よく見てると、下の川から蒸気が上がり山の中腹あたりで雲に発達するのが分かりました。

その後は、いよいよ竹田城へ。
城下には整備された観光施設がありました。

その施設から大手門の下までバスが出ていましたが、バスは利用せず、迷わず徒歩の選択。
せっかく来たのだから山の中をのんびり歩きながら城を目指したい。

片道2.2キロ。約30分ほどです。

城に着くと、まずは三の丸から。
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上の写真は三の丸から本丸方向を見たもの。

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これは、三の丸の脇あたりから、本丸の石垣と南千畳の方を見たところ。

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本丸から三の丸を見た写真。
下は、本丸から南千畳を見た写真。
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おそらく、有事の時は南千畳に兵を揃えたりしていたのでしょう。

下の二枚は、南千畳から本丸方向。
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この城は、羽柴秀吉によって攻略されたそうです。

大きな山城ですが、どうやって攻略したのでしょうか。

立雲峡から眺め、そして、城に行ってみて、攻略するのはいくつか手段がありそうですが、私なりには攻略法が浮かびました。

この攻城戦においては、「雲海」、つまり季節を検討すれば比較的簡単に落とせる気がしてきました。
城からは城下がとてもよく見えるのですが、雲海が出たときは、城下のほとんどが見えなくなります。

そこを衝いて、火矢でロックオン。
兵は多いよりも少ない方が機動力もあり、敵にも察知されにくくなるから、小隊あるいは忍者を主体とした編成で良いのでは・・・なんて思ったり(笑)
そして、すこし遠巻きにして反対側に大部隊を設置するなら設置。
そこで降伏の勧告。。

これがざっと浮かんだ方法ですが、もちろん細かい地形や情勢があるでしょうからこの通りに簡単にいくわけでもありません。
でも、想像すると面白いですね。

さて、秀吉はどのように攻城したのでしょうか・・。
時間のある時に調べてみようかな。

金曜日はこのようなぶらり旅。そして午後は温泉でのんびり、でした。

さらに翌日、土曜日はある打ち合わせがありました。
今年の楽しみが一つ増えました。

今回の関西方面~金沢は車で行くことになりました。
大阪でリハーサル、金沢でレッスン会&ミニコンサートがあり、荷物のことを考えると車の方が快適。

それ以外には空き時間もあったので、有効に使いました。
水曜の夜に都内を出発。
夜中には安土城下まで到達してしまいました。

安土城跡は来てみたかったところの一つ。
織田信長関係では、名古屋周辺の桶狭間古戦場、熱田神宮、清州城、信秀の墓はじめ色々と廻りました。
それから京都でもゆかりのあるところがいくつもあるので、時間のある時に少しづつ。
あと、行ってみたくて昨年実現したのは、静岡の西山本門寺。信長公の首塚のあるところ。

ですので、安土城は、「是非行かなければ!!」と思っていました。
まずは、知識集めと確認のため、安土城考古博物館へ。

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周辺の歴史を知ることが出来ます。
博物館を見た後は、安土城へ。
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180メートル程の大手道ですが、左側が羽柴秀吉邸跡、右側が前田利家邸跡。
少し上って右側に徳川家康邸跡があります。

名立たる武将の邸宅が並んでいて、信長の威厳がひしひしと伝わってきます。
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これが羽柴秀吉邸跡。
石垣が数層になっていて、その石垣は武者走りという回廊のようにもなっています。
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大手道を登り切ったところから下を見た写真。
少し前までは総見寺の境内となっていて、大手道は土の下に埋まっていたそうですが、調査が行われ石垣や大手道の復元に至ったそうです。

180メートルの大手道沿いだけでも見どころ満載。

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大手道から登っていくと、二の丸跡や織田信忠邸跡へ。それから途中に信長廟がありました。
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本丸跡には礎があり、当時の本丸の想像に浸ることが出来ます。
今では、安土山の周りは水田などがありますが、当時は三方を琵琶湖に囲まれた地形だったそうです。
この本丸跡からは、琵琶湖はじめ360度見渡すことが出来ました。

安土城を見た後は、近くの温泉へ。
のんびりした9日(木曜日)の午前と昼でした。

午後からは、リハーサルのため大阪に移動しました。

































八丈島での滞在時間は8時間30分程度。
しかし、レンタカーの手配や帰りの飛行機のチェックインなどを考えると、実質7時間くらい。
その時間内であちこちを見て廻りました。
突撃観光になったので、レポートも突撃レポで(笑)。

大坂展望台から八丈富士と八丈小島を見た後は港に移動して、八丈富士を眺めました。

その後は、南原千畳岩海岸。
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八丈富士の度重なる噴火で形成された海岸。

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広い千畳岩の先端まで降りていってみました。
溶岩なので岩が黒いです。海水はやはり紺碧。
海面ギリギリまで降りてみると見上げるほどの岩の高さ。
凄いです。

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宇喜多秀家と豪姫の像。
宇喜多秀家は、関ヶ原の戦いで敗れた後は、八丈島に流されたそうです。それから没するまでの50年間をここで過ごしました。豪姫を八丈に帯同することは許されず、生涯別々に生きていかなければならなかったようです。

八丈富士の噴火が1605年にありました。
そして、宇喜多秀家が八丈島に来たのも同年。
かなり大変だったのではないかと窺い知ることが出来ました。

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その後は、八丈富士に登り一周してきました。
空港と三原山です。

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牧場もありました。
山の上から街を見下ろすと、大体の方向を把握することが出来ます。
旅に出たら、まずはその場所の一番高いところから街を見ろとよく言いますが、確かにその通りだと思いました。
見下ろした後は、山を下りても地図がいらないほど方向感覚が分かりやすくなりました。

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島を一周している八丈一週道路。
青ヶ島の周囲は約9キロでした。
八丈島一周道路は全長約90キロ。
島の大きさの違いから、散策の仕方も変わってきます。

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山から下りた後は、島中心部にある一休庵で明日葉うどんを食べました。
とても美味しいうどんに夢中になっていると、店に入ってきた人から・・・「あれ!角さん」
との声。

食べながら、「八丈島に知り合いはいないけど誰だろ」と思いながら見上げると・・・

青ヶ島で私が乗る臨時チャーター便のヘリを見送ってくれた3人!!
ヘリポートでは、「また、いつかどこか旅先で顔を見かけたら声を掛けてください」といって別れました。

お三方は、臨時便のあとの定期便で東京にすぐに戻ると言っていました。
いつか旅先で再び顔を見かけるタイミングが早っ!!

そういえば、青ヶ島のビジネス宿中里の食堂で、八丈島でのお勧めの食事を聞きましたが、場所が上手く分からずになっていました。
そのお勧めは「一休庵」だったのです。
私は、八丈に着いてからレンタカーの職員にお勧めの店を聞いて一休庵に行きました。

しかも、八丈富士を眺めながら立っていた堤防で見えたヘリにお三方が乗っていて、皆さんは東京、自分は八丈島・・・と思っていたところでした。

思わぬ珍道中。
これだから旅は面白いのです。

もう一度皆さまにご挨拶をして、八丈島探訪の続きに出かけました。

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昼食の後すぐに向かったのは、中心街から一番遠いところ。三原山の裏側にある温泉「みはらしの湯」。
人が少なくて、ほぼ貸し切り状態。
太平洋を眺めながらの温泉は格別でした。

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温泉の帰りに見つけました。

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八丈島灯台。
青ヶ島2日目の夜に、星空を見ていた時に海の向こうに見えていた灯台です。
地図で探しましたが、はっきりとした場所が掴みきれていなかったのですが、タイミング良く目に入り寄ってみました。

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温泉から街に戻る途中に、この様な玉石の石垣が連なっている地区があります。
明治期はここに庁舎がありました。
壮観です。

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そして、これも街に戻ってきてすぐに見つけた宇喜多秀家宅跡。

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抜け舟の場。写真の中の説明に書いてあるとおりですが、その昔、罪人がここから脱走しようとして船を発していった場所だそうです。しかし、成功した例は1例のみ。浜から海を見ると、相当な覚悟で以て海に飛び出したのだろうと容易に想像がつきます。

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以上、突撃観光のレポートでした。

今度来るときは、レンタサイクルでのんびりと廻ってみたいです。
ちなみに、八丈では半分くらいの箇所を廻っている間雨でした。

ようやく、青ヶ島・八丈島の旅の記事はひと段落。
やっぱり、旅って良いものです!!

旅3日目の11月11日。
前日のヘリ欠航を受けて、11日の臨時便に乗せてもらうことが出来ました。
臨時便の搭乗手続きは午前7時45分から8時05分まで。青ヶ島発は確か8時20分だったかな。
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青ヶ島ヘリポートです。

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ヘリポートのターミナルビル。
こじんまりとしています。
建物には右の扉から入り、搭乗手続きを行います。
荷物の重さを計りますが、自分の体重も申告しなければなりません。
手続きが終わると、建物の左の扉から出てきます。その時点で保安検査も終了しているので、それ以降は張られているロープよりこちら側に来てはならなくなります。

私の青ヶ島の予定は、当初、1泊でしたが、天候により1日延泊しました。
しかし、日中は雨に降られることはなく、2日目の夜には綺麗な星空も見ることが出来ました。

ただでさえ、予約を確保することも難しい青ヶ島行。
島の人の話では、私の今回の旅については、とてもラッキーだと言われました。
予約しても八丈島から青ヶ島に来れないことも多く、青ヶ島入りしても滞在中ずっと雨で何も見れずに戻っていく人も結構いるそうです。
私の場合は、一日延びて、帰りのヘリの搭乗については焦った部分がありましたが、見れるところはすべて見ることが出来、翌日のチャーター便できちんと帰れるからです。

これまでに青ヶ島に5度来ている方にも聞きましたが、今まですんなりと帰ることが出来たことは一度もないとのことでした。

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これは10日に撮った風景。
ヘリポートから街を望みます。

臨時チャーター便では、大半の人が観光で来ている人でした。
前日は欠航になったし、私が渡った9日は観光は自分一人だったので、数日間滞在している人たちということですね。
その中に、5名グループで旅行に来ている方々がいました。
ところが、そのうち1名だけチャーター便にも定期便にも乗れなかった方がいました。
臨時便はしばらく出ないということだったので、大変そうでした。

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青ヶ島 → 八丈島のヘリ。
近いけど遠いところですね。

島の人は、厳しい環境の中で生活しているからかどうか分かりませんが、寡黙な人が多かった気がします。
そんな中で、口数は少なくても人情はとても厚いということが伝わってきました。

本土では、ある程度のお金があれば、大抵のものは手に入れることが出来ます。本当に便利だと思います。しかし、その一方で、隣に住んでいる者同士知らなかったり、ちょっとしたことでトラブルになったりと、ストレスの多い社会になっていることも確か。
青ヶ島は、船やヘリが運行されないと、商店の陳列棚の物が無くなったり、1週間ぶりに船が着いても、欠航が重なると届いた野菜が腐っていたりということがよくあるそうです。ちょっと出かけて遊ぶような施設などもありません。
そのかわり、何かあれば皆で協力する団結力、限られたものを大事にする気持ちが特に強くあるように感じました。そして何よりも、都会では見ることの出来ない大自然。
厳しい大自然と共存している姿をほんの一瞬ですが見ることが出来、とても考えさせられた気がします。

さて、帰りのヘリで約20分。
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着陸直前のヘリから見た八丈島。

八丈島のホテルとセットになっていたレンタカーも一度キャンセルしてしまったので、空港で改めてレンタカーの手配。すぐに迎えに来てくれました。
レンタカーを借りてまず向かったのは、大阪展望台。
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八丈富士と八丈小島です。大阪展望台は三原山に向かう途中の海岸沿いの道にあります。

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大阪展望台のあと、港に移動して八丈富士を見ました。

この堤防にいるときに、上空でヘリの音がしました。見上げてみると、青ヶ島から飛んできた定期便のヘリ。定期便には同じ宿で知り合った3名が乗っています。ああやって、自分も戻ってきたんだなと眺めてました。

それにしてもどちらの島も海が綺麗です。
八丈島滞在は、夕方17時15分の飛行機に乗るまで。
突撃観光になっていきました^^


青ヶ島のレポートだけで既に7つ目の記事になってしまっています(笑)。

旅に出かける前は、天気予報では雨・雨・雨という予報でした。
実際に島に渡ってみると、初日は一日天気が良いということで、ほとんどの名所を廻りました。
日が暮れてから低気圧の通過で、夜半にかけて嵐のようになりました。
二重カルデラや池之沢、街の風景など堪能し、残るは満点の星空を見るのみとなっていましたが、夜は痛恨の嵐。
ネットで天気予報を見てみると、夜は荒れるが明け方からは回復するとなっていました。

星空は見ることが出来ませんが、予定とおりにヘリで八丈島には戻れそうと思い、寝床につきました。

翌朝、10日火曜日。←やっと2日目のネタに突入!!

・・・・雨です。

朝食時、宿の方の予想では、この雨ならたぶんヘリは大丈夫とのこと。
ホッとしました。
が、しかし・・・
「ただ、雨が降ると、地熱で霧が出やすいんだよね~」
物凄く不安になる指摘。
青ヶ島は霧が多いのは分かっていましたが、発生しやすい理由の一つが地熱だということを初めて知りました。
確かに、ヘリポートの近くには噴気孔もあるから地熱は高い方でしょう。

朝食中の時間帯に、みるみる霧が出てきました。食堂のテレビ画面には、三宝港やヘリポートの様子がライブで映し出されています。
宿にいてはヘリが運航されるかどうかが分からないので、荷物をまとめて宿を出ました。
念のため、宿には「飛ばなかったら戻ってきます」と伝えて。

ヘリの搭乗手続きの時間にヘリポートに行くと、係の方が、「これはちょっと厳しいですね」とひと言。
これはまずいです!
天候調査を行うことになりました。

目の前で、係の人が天候調査の連絡を八丈島空港にしています。航空会社の天候調査を見るのは初めてです。
「青ヶ島ヘリポート視界約100メートル、平均風速13ノット、最大風速35ノット」
これを聞いていて、今日は島を出れないと悟りました。

案の定、調査の電話が終わると、私たち乗客に欠航の言い渡し。
後で連絡するからという事で、連絡先を教えて宿に戻りました。

欠航というだけならば、代わりの便を予約すれば良いのですが、ヘリは1日1便。しかも、定期便の予約状況を見ると、12月6日まで満席。
ヘリ会社に電話してキャンセル待ちの予約をしましたが、次の日のキャンセル待ちは3番目。さらにその次の日の順番は6番目と言われました。
連絡を貰えるといっても、いつ連絡がくるのかが分かりません。
それならば、いっそのこと船で八丈島に戻ろうかと思い、運航表を見てみましたが、次の便が13日金曜日。船を選択するとしたら無条件にプラス3日滞在しなければなりません。しかも、運航率は50%。船の選択をしたとして、果たして金曜日に本当に運行されて来るかどうかが分からない。

かなり、不安な状況になりました。
宿に戻って、八丈島の宿のキャンセルをして、色々と調べていたのですが、11時30分頃、向かいの部屋の男性がノックしてきました。
「スミさん、ヘリの状況どうですか?」
「いや、だめだね・・・」
「あの、僕、今連絡が来て、明日の臨時チャーター便で帰れることになりました。」
自分のところには連絡が来ていないので、さらに不安になっていきました。
他の知り合いになった3名は、翌日の定期便のキャンセル待ちで滑り込むことが出来ることになったそう。

自分だけ、島に取り残される・・・・。
この時、青ヶ島旅行の厳しさを身に染みて感じた気がしました。

村役場が臨時チャーター便を手配してくれたそうなのですが、私には連絡が来ていないのです。それからしばらく待っても連絡は来ないので、私から役場に2度連絡を試みました。
しかし、不在・・・。

ますます、やばい・・・。
外に出てみると、朝までの雨はどこへやら。晴れてきています。
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この建物は、宿の別棟。
もうこうなったら、成るようになれと思い、街の散策に出かけました。
雨上がりの風景が、意外と綺麗に撮れました。
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景色はどのショットも絵になります。

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雨上がりの道と海。
青が綺麗です。
役場から連絡が来ないので、散策ついでに役場に行くことにしました。直に足を運んで確認をする。これは、一人旅での鉄則かな(笑)。
役場に着くと、ヘリの担当者は昼食中で戻っていないと・・・。

もう14時になるのに。
代わりに別の方に臨時便に私が乗れることになるのかどうか、調べてもらいました。
そうしたところ・・
「スミさん・・・・名前ありますね。」

おいおい。
臨時便の方が定期便よりも1時間早いんだから、知らなかったら明日は乗り過ごすところでした。
それにしても、帰れるということが分かっただけでのこの嬉しさ。

頭の中で、「家路」のメロディが流れます^^

再延泊にならずにホッとしたところで、思い切り楽しむことに専念出来ます。
いくぜい!! 
観光延長戦!!

1日目に続き、再び尾山展望台。
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登った時には、すっかり天気は持ち直して晴れでした。

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雲が低く見えます。

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金比羅神社。ヘリポートのすぐ北側のやぶに囲まれた中にあります。

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島の北の地域です。
この景色はとても気に入っています。

そして、この景色はとても綺麗なのですが、以下の写真を見てください。
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あんな平原のように見えるのに(実際は茂み)、ヘリから見るとすぐに断崖なんですね。
この写真は、宿で知り合った青年から貰いました。

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集落に戻る途中に、とても綺麗な夕日の風景が見れました。
太陽は見えていないのですが、雲の際から陽が見えるか見えないかというのが凄く綺麗。ブローウェルの「11月のある日」の情景そのままじゃないか!!と思いました(笑)

朝は雨だったものの、それからは晴れたり曇ったり。
2日目の夜も星はダメかもと思っていました。

この様な旅ですから、同じ宿で知り合った青年と飲みに行こうという事になり、「おしゃれ杉の沢」へ。
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店には、年配の男性が一人飲んでいました。
地元の方でご一緒させてもらい、色々な話を聞きました。

すると、その方は、なんと長年村長を務めた方で、1824年に往還した佐々木次郎太夫の末裔さんでした。
島の特産物がどのようにして作られているのかとか。例えば、唐辛子を作るには、まず牛を飼う事から始まるなどの話などなど。
小一時間楽しく島の話を聞かせてもらいました。
そして! 飲みに行くときには星がちらちら見えていたので、その方に星を見るスポットを聞くと、なんと、誰も知らない場所を教えてもらうことが出来ました。
観光客は誰も知らず、島の人も皆は知らないというスポット。

いよいよ、あのヘッドライトが役に立つときが来ました(笑)
ある箇所から、茂みをかき分けて入り、分かるか分からないかくらいのあぜ道を探す。
そして、茂みの中をかき分けてしばらく行くと、少し開けたところに出ます。
茂みの入り口付近。
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青年のKさんと一緒に、釣り用のヘッドライトとスマホの懐中電灯2つを照らしながら歩いて、この程度の明るさです。
電気を消すと、自分の手も見えません。真っ暗です。
もし、一人だったら怖くて行けません。

大分息も切らしながらたどり着いたスポットで、手持ちの電気を全て消しました。
街の明かりも入りません。

・・・・・・・・
大空一面の星の世界。
砂粒のような星までちりじりになって広がっています。
天の川まではっきりと!!見えます。
聴こえるのは風の音と風でなびく草の音のみ。
とっても明るく満点の星空でした。
いくら言っても言葉では表現出来ません。

予定にリスクをおかして、お金をかける価値が十二分にありました。
ちょっと眺めているだけで、流れ星も11個観ました。
手を伸ばしたら星を掴めそうなくらい、星空が低い。

しばらく、地面に寝っ転がって星空を脳裏に焼き付けました。
海の向こうには、八丈島の灯台の光も見えました。

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