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過去・・・8年、いや・・・10年くらいか・・・。

自分事ですが、長い迷路に迷い込んでいたような、なんとなくそんな感覚にすらなるような気持ちです。

3年ちょっと前、
私とっての相談役のようでもあった方。私の倍くらいの歳の方が、

「その年にして、2人分くらいの人生の経験をしていますね。。」

と、ふと言葉をかけてくれたことがあります。
客観的には、そう見えるのだろうか・・・。


そういえば、つい最近も、ある方とやり取りをしていてこんな話をしました。

その方は、自身の経験を語りました。要約すると・・・

「小学校の時、沢山いじめられて、地獄のような生活を送っていた。担任の先生は新任で役にたたず、親に言っても、テストで良い点を取って見返してやればよい、といったアドバイスしかもらえなかった。」

その時にその方は、こんなふうに思っていたそうです。

「人間は愚かな生き物。自分よりも下等な者を作り出さないと生きていけないのではないか。そして、下等だと選ばれた者には地獄のような毎日が待ち受けている。」

そのような環境下にいたとき、その方は、「人の心の声が聞こえる」ようになったそうです。まるで自己防衛本能が働いているかのように・・・。

私は、その話を聞き、とてもよく分かる気がしました。
でも、私がその方に返した言葉は・・・

「心の声が聞こえる、というよりも、心の声が見えるんですよね。」

その方は、地獄のような環境からは抜け出し、「心の声」は聞こえなくなっていったそうです。人は本当の地獄に落ちたとき、生きていくための本能が目を覚ますのではないかと語っていました。
その話は、とても共感できるもので自分も似たような感じではないのかと思うことが今までありました。以前よりは弱くなっているとは思いますが、今でも少しそれを感じることがあります。

「人の心が見える」

・・・・と。






数年前、私の身に、突如としてあることが起きました。
まさに青天のへきれき。

突然、崖から突き落とされ
這い上がろうとしても、

あり地獄のように、上がれない。


戸惑い混乱し

迷い

もがいていました。

谷底に落ち、さらに谷底にも穴が開いてそこからすらも墜ちた様な状況の連続


そんなとき、自分の状況を話したのは数人でしたが、
皆、助けてくれました。



いつも落ち込んでいた私にある方は喝を入れて励ましてくれました。

ギリギリのところで私を救ってくれた・・・。


その少し前にもあるところでは不思議な体験をしましたが
地獄の連続でした。


そんな苦しい時期に、不思議なことが起こる期間がありました。
ある曲を、ただ集中して弾くだけなのに

何人もの人が、涙を流して聴いているのです。
あるときは、友人とある宿に行って、そこでリクエストを受けて弾いたときも2-3名で聴いてくれた方は、「なんかよくわかないけど涙が出てきた」と言ってくれていました。

大の大人で、アウトドア系の男性がです。

私も、腕から涙が流れているような感覚で弾いていたのを覚えています。
とにかく、その曲を弾くだけで、涙を流す人が立て続けにいたことがありました。

不思議な体験でした。


そのころは、とにかくいろんな本を読みあさりました。
現実逃避をしたくなることもありました。


それから、ある方は私に、

「明けない闇はありません」

と励ましてくれました。

ようやく地獄の日々は終息を迎え
気持ちの混乱などは
少しずつ、収まっていく感がありました。

今年に入ったくらいから、私も「心の声」はだんだんと見えなくなってきています。
これは、多分良いことなのだろうと思っています。

でも、まだ払しょくしきれない弱さが自分に残っているようです。
たまに人との距離感ががっちりと掴みきれないときもあることに気が付きました。

人と接するときに、たまに不安にかられることがあります。
不安になるということは、自分が不安定だからなのか・・・。


そんな自分ですが、
昨日、
ある方と話をして、ずっと前の自分をもっと取り戻すことが出来るかもしれない

そう感じました。
自分が感じている不安なのに、逆に迷惑をかけて・・・

それなのに、自分を取り戻すきっかけを与えてもらっている・・・。

・―・―・―・―・―・―・―・

この8年・・・10年・・
ある人と連絡を取らない状況になっていました。

別に喧嘩をしたわけでもないし、トラブルがあった訳でもない
ただ何となく疎遠になっている感がありました

昨日のありがたいやり取りの後就寝し

早朝

携帯が鳴ったので、目覚ましかと思い飛び起きました。


ラファエルでした。
在米中、私のベストフレンドだったラファエルです。

何年も疎遠になっていたのに、つい先ほど、メールが来ました。

「My dear friend!!」

と以前のあのノリで・・・

昨日の話に、今日の早朝・・・

このタイミングは偶然だと思いますが・・・
長年、見失っていた自分のなにかを取り戻した気がする

ありがとう・・・「K」...。








と、いろいろと回想していました。

まだ記事を書いている時は早朝です^^
二度寝、二度寝♪


そして、起きたら練習します!

つい最近、ふと思うことがあり、今年の初めに引いたおみくじを眺めてみました。

数年前に屋久島で引いたときには「22番」という私にとって因縁の札が出て、そこには当時の状況を物語るかのようなことが書かれていました。
そして、そのとおりになった経緯がありました。

今年は、初詣には香取神宮に行きました。
そこで引いたおみくじです。

イメージ 1


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札自体は吉ですね。
まあ、控えめで良しとしておこうという感じかな。

で、冒頭の句に、私は感慨深いものを感じました。

時は流れるものです。

札の下半分には、願事・待ち人・失物・・・などなど、項目別に書いてあります。
今、こうして眺めると・・・

へえ~。

・・・・と。


あ、先月買ったホビットのDVDまだ見てませんでした・・・。
これから観ます!!(笑)

 日食について、今さら私が説明するまでもないでしょう。


 うちの地域でも綺麗に見ることが出来ました。iphoneで撮った写真です。


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リングになった前後は、暗くはなりませんでしたが、光が弱く柔かくなりましたね。心なしか気温も下がった気がします。


肉眼でも見えました。もちろん長時間は見ることは出来ませんが。


とても貴重で良い時間です。

 今日は数字の不思議な話です。

 まずはじめに言っておきますが、私は変な宗教やカルト的なことは信じていません。




 平成22年の春ころ、私は、無性にあるところに行きたいという欲求にかられました。それは、私にとって大事なことが始まった時期でもありました。


 その行き先は屋久島の縄文杉です。

 なぜか、急に行きたいという気持ちになったのです。前々から漠然と行ってみたいなとは思ってはいたのですが、特に予定を計画しようとも思ったことはなく生活していました。

 行きたいと思ったその日には、飛行機も宿も予約していました。予約は4月の下旬。ゴールデンウィークの直前の旅行となりました。
 今でも、なぜ、突然行きたくなったのかは分かりません。ただ、縄文杉に何度か行っている友人は、

「きっと呼ばれたんだね」

と言っていました。なぜか、縄文杉を訪れる人は「行く」という表現よりも「呼ばれた」という表現を使うことが多いように感じます。それだけ神秘的な場所だということでしょうか。


 屋久島はパワースポットで有名な地ですが、なにか関係があるのでしょうか。

 私はパワースポットというような話しについてはあまり興味はなかったのですが、「呼ばれた」という表現にはなんとなく頷ける思いでした。


 その時のブログ記事は以下です。







 我が家には、ラッキーナンバーというものがあります。

 その数字は「22」です。

 
 もともと「22」は、実は、家にとっては悪い数字でした。祖父の代の時にあることがきっかけで、「22」が因縁のあるような数字となってしまい、22日とか、22という数字が付く時には悪いことばかりが起きました。確かにぞろ目の数字は一般的には良い印象はあまりないかもしれませんね。

 祖父が営んでいた店が、隣の火事からもらい火をして焼けたのが22日。私の母が手術をしたのが22日。ほかにもいくつか悪い大きな出来事があるのは「22」に関わっている事がいくつもありました。

 そして、祖父がなくなるとき・・・


 病院で、祖父の最期を家族全員で見送りましたが、亡くなった時間が・・・






 午前2時22分。


 「22」という数字について、これはやはり何かの因縁だということを家族皆で感じていました。


 しかし、祖父の代で始まった悪い意味での「22」は、祖父がなくなる時に一緒に払拭してくれたような展開になりました。


 それからというもの、「22」に関する時は良いことが起きるようになりました。

 大学の合格発表、その他良い知らせなど、日常の細かいことでも22日に良いことが増えたのです。



 私は、カルト系のものは信じません。

 しかし、この不思議な出来事以来、「22」という数字には思い入れがあります。



 
 さて、屋久島の話に戻しますが、東京から飛行機と船を乗り継いで、屋久島の宮之浦というところに着きました。
 屋久島滞在一日目は、午後に到着したので特に予定は入れず、街の散策をしました。

 しばらく歩いていると益救神社に行き当たりました。旅から帰宅して調べてみると、屋久島では中心的な存在の神社だそうです。
 敷地に入って案内を読むと、



由 緒: 益々救って下さる神様「救の宮」又掖玖島(屋久島)が龍宮であるとして「一品宝珠大権現」として広く尊崇されております。
 

と書いてありました。

 なんだか、自分の置かれている状況のために来た様な神社だなと思いながら、まずはお参りをしました。そして、縄文杉まで行ったら、帰りにもう一度寄ろうと決めたのです。


 旅の3日目に縄文杉へのトレッキングをしました。

 早朝3時頃起床。宿で朝と昼の2食分の弁当をもらって、登山口に向かいました。
 
 片道11キロのコースです。


 上記に貼り付けた当時のブログ記事のように、午前5時半過ぎに荒川登山口から入り、トレッキング開始です。本格的なトレッキングは初めてでした。11キロ中約8キロはトロッコ電車の線路を歩いていきます。途中で沢を何度も渡りますが、線路の真ん中に木の板を敷いているところを歩くのです。
 景色は本当に素晴らしいところばかりです。


 片道約4時間半で縄文杉に到着しました。

 往路はほとんど休憩をしないで飛ばしたので、到着時はほとんど人がいませんでした。ひとつ驚いたのは、地元の人と思える人が登っていること。登るだけでは特に驚きはしないのですが、ワイシャツにスラックスというどう見ても装備なしの格好。手にはペットボトル1本だけ。その人が、縄文杉到着の少し手前で追い越していったのです。しかも小走りで。相当足腰が強いのでしょう。あっという間に私を追い抜き、見えなくなってしまいました。そして、私が縄文杉に着く前にはその人は下ってきて、すれ違って行きました。そのときも小走りでした。すごかったです。



 樹齢2600年とも、説によっては7200年とも言われる縄文杉。感動の一言でした。根の端から端までは50メートル近くもあるという巨木です。

 まだ後続の登山者が来ないので、座って30分ちょっと縄文杉を見つめていました。なんだか縄文杉が「お疲れ様。よく来たね。」と言っている様にも感じます。


 復路、そんな幻想と言える不思議な事を感じた後は、疲れているはずなのに足も軽くなり、気持ちもとても軽くなっていた自分があります。

 きっと、縄文杉に会うというのは、自分の中の何かを捨て去るために行ったのだと思います。

 
 そして、下山後、その足で益救神社に再び向かいました。
 
 お参りをして、それから、横にあるおみくじを引いてみようと思いおみくじの箱まで行きました。



・・・・・・・





絶句です。。。





・・・




セルフ方式でおみくじを引くようになっているのですが、口のところにおみくじが1つだけ出ているのです。これを納めなさいと言わんばかりに・・・。



なぜ、絶句なのか・・・。





そのおみくじの番号が見えています。




「22番」





震えました。


 手に取るのが恐くてしょうがありません。しかし、きっとこれこそ何かの因縁だと思い、それを受け止めなければいけない気になり、その22番のくじを引きました。
 もう、どちらか分かっています。大吉か凶しかありえないことを。おみくじの中身を見るのが恐かったのは初めてです。



そういえば歴史で、明智光秀が本能寺に向かう前におみくじを引いて、連続で「凶」がでて、その後、あえなく散っていったという話も思い出しました。



 もちろん、歴史と私は関係ないですが、出る内容によっては精神的に大きく左右されそうだと思いながら、おみくじを開きました。


 その紙面を広げてみると・・・




「大吉」

!!!!

 問題の文面を見てみました。すると、



待ち人 → 来ます
争いごと → はじめ悪いが後に勝つ



と書いてありました。

イメージ 1


この2つの文言。私にとっては思いつくのは1つしかありません。


 ずっと耐えてきていて強さを少しずつでも付けてきているつもりでしたが、さまざまな気持ちがこみ上げてきました。 

 敷地には、大社祭の準備でテントを張っている男性が2-3名いるだけでひっそりとしていましたが、縄文杉に会いに行き、この益救神社でお参りをしておみくじを引く。これが、自分が急に屋久島に行きたくなった理由なのかと感じました。
 まさに、友人が言っていたように、「自分はここに呼ばれてきたんだ」と思った瞬間です。

 それにしてもこの「22」と言う数字。後から思い起こすと、登山口から縄文杉は片道11キロ。往復にすると22キロです。それから、帰りの飛行機の座席も22番でした。


イメージ 2



 
 重ねて言いますが、私はカルト的なものは信じていません。しかし、このときは目に見えない何かがあるのではないかと思いました。

 それは、その後のある節目である日でも見受けられました。

 私とタッグを組んでくれた方が引き受けてくれたのが平成21年12月22日。それから、ある大事な書類の日付けが22日。

 さらに、その節目となった平成23年4月18日、家を出て最初にすれ違った車のナンバープレートが「2222」。行き先での予定が13時でしたが、現場に着くと、担当の方も昼食が終わったと思われ車で駐車場に入ってきました。田舎ですから駐車場も狭いのです。その方が乗っていた車のナンバーが「4122」。これは「良い22」と読めます^^。

 嘘でしょ・・。と思うようなことが、このようにあったのです。



 そしてその日に聞いた結果内容は、「見たことのない世界目ざす」ことをあきらめなかった結果だったのかもしれないと思いました。


 そして、自分の思いに再び小さな翼を装着し直し、その後間を置かずして再び離陸し、Extra Flightに突入していきました。





 それから、再び1年が過ぎました。
 間もなく再着陸します。

 どんな所に着陸するのでしょうか。

 最後の雲を突き抜けるまでまだ見えません。

今日は現代ギターでレッスンがあり、その後、ギター文化館の忘年会に参加してきました。今年3つ目の忘年会です。


私は、途中からの参加でしたが、仕事中ではなかなか顔を合わせない仲間たちも久しぶりに会い、とても楽しい時間でした。

今日は、かわいらしい仲間も参加していました。

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生後3カ月くらいだそうです。

しばらく抱っこしていましたが、すやすやと気持ちよさそうに腕の中で寝ていました。なんだか、数年前が思い出されました。


気がつくと今年もあと10日ないんですね。時が進むのはあっという間です。

今年は自分にとっても公私ともに色々なことがありました。

2度目のスペインツアー、ARCの旗揚げ公演。
それから、音彩という貴重な録音。沢山のリサイタル・・・などなど。

そして、大震災。

さらに、個人的なことでも・・。


散々報道でも言われていますが、絆についてとても考えさせられましたね。

本当に人と人の絆は掛け替えのないものです。生徒さんや仲間などとても良い人たちに囲まれていることに感謝です。

世間でも絆というものを実感したというのが大勢だと思います。大勢はね。。


来年も良い年になるように頑張ります。^^

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