カテゴリ: ~旅~

納沙布岬の帰りは、阿寒湖温泉を経由して札幌に戻りました。

阿寒湖温泉にはアイヌのお店が軒を連ねていました。

せっかくなので、アイヌ料理のお店で夕食を摂ることに。

ポロンノというアイヌ伝統料理のお店。

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まず飲み物。
マリモスカッシュというソフトドリンク。
マリモも食べらると聞き、どんな味がするのかなと思いましたが、とても美味しかったです。
タピオカに似た感じと言えばイメージを持っていただけるのではないでしょうか。これは珍しさ、味共にとてもオススメです。

写真が保存出来ていなくてアップ出来ずです。

食事は、まずこれ。

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ポッチェイモ。ジャガイモを自然発酵させたものです。保存料理で塩で味を整えます。


そしてチェプ(鮭)セット。

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オハウ昆布と塩だけのスープにキノコや山菜が入っている。

メフン、鮭一本から一筋しか取れない血合いの塩辛。

アマム、豆、いなきび、キトピロを一緒に炊き込んだご飯。

この三点。

スープとご飯は美味しかったです。
そして、メフンはお酒のつまみに合いそうなものですね。私は車移動でしたので、その良さがまだつかめずといったところでした。

食事が終わる時間に、偶然ですが、火祭りの舞踊が見られると聞き、ホールに足を運んでみました。

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伝統的な歌と舞い。
それから音楽。

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どれも、初めて目にして、素敵なものだと思いました。
トンコリという5弦の弦楽器がありますが、とても綺麗な音色です。
箏に似ており柔らかい音にしたのがトンコリのイメージに近いかなと思います。

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終演後、アイヌのアーティストの方と話す事が出来ましたが、5弦で音の高低の並びはバラバラだそうです。

日本人の中に、このような素晴らしい文化があるのです。もっと広まれば良いと思います。

わずか一日半という短いオフで、当初は、納沙布岬岬までの往復のみになると予想していましたが、立ち寄るところ全てが興味を引くものばかりで非常に良い旅でした。

岬めぐりになっております。

昨日の夕方からえっちらおっちらと移動を始め、日本最東端に着きました!正確に言うと本土最東端ですね。ちなみに日本最東端は南鳥島。

今回の目的地は納沙布岬と決めて、ぶらり旅のスタートです。

では、行程順に。

札幌から納沙布岬までは約440キロ。
昨年訪れた日本最北端、稚内の宗谷岬よりも長距離ドライブです。

一日半で充実した旅を作りましょう。

今日は全国的に天気は大荒れのようですが、雨も降っていません。

根室半島の付け根辺りで、カーナビを拡大表示してみると、気になる所がいくつも映し出されます。

パッと目に入ってきたのが、アイシン岬。
まずはここに寄り道をしようと国道からそれました。

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これがアイシン岬。

地図で確認してもどこから入って行けるのかが分からず、写真とは反対側にも行ってみました。

ずっと続いている小道を見つけたので、「これだ!」と思い進んでいくと、、、

民家!

小学生くらいの男の子が外にいたので岬はどこから行くのか訪ねると、家から家族皆様が外に。

岬への行き方を教えて欲しい事を伝えると、皆様笑顔になり「アイカップ岬ですか?」と。


私はアイシン岬だと思い込んでいたのですが、よく聞いていると違う岬の事を説明してくれているのに気が付き、アイシン岬は一般人は行けないこと、愛冠岬が隣の岬で名所だと知り、愛冠岬に行くことにしました。

愛冠岬に着くと、駐車場から林道が延びています。
林道途中には博物館があり、非常に多くの地域の動植物の展示がされていました。

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林道を歩いていると、キタキツネとエゾシカが迎えてくれました。

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愛冠岬は『できそうもない困難を乗り越え愛の栄冠を得る』との思いで名づけられました。原名はアイヌ語でアイ・カップ(矢の上のもの)の意で、矢の届かないところから『できない、届かない』という意味も持っているそうです。

次は涙岬

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涙岬には以下のような言い伝えがあります。

【涙岬(乙女の涙)・立岩の物語】
 涙岬、立岩を訪れると、この地の古老の話が思い出されるのである。昔、鰊(ニシン)漁が華やかなりし頃、厚岸の若者と霧多布の網元の娘が恋に落ちた物語である。ある嵐の日、厚岸から船で霧多布へ向かう時、ここまで来て座礁し、若者は海の底へ消えてしまった。それを知った娘は、この断崖に立って泣きながら、声をかぎりに若者の名前を呼び続けていたと云う。今でも、この岬を訪れると断崖に悲しい娘の顔を見ることがきる。又、立岩を訪れると、愛する娘の悲しい叫びに向かって一歩一歩、岸にたどりつこうとする若者の姿を想わせるものがある。嵐の夜には、娘の悲しい咽で泣きと、若者の恋こがれて叫ぶ声が風と共に聞えてくると云う


涙岬から立岩も望むことが出来ます。

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さてここから納沙布岬岬に向けて進みました。
しかし、よくキツネを見かけます。

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移動距離が400キロ以上あるので、ナビで表示される、あと何キロというのが100キロを切ると、ついにご近所に入ったぞという気分。

そして、ついに到達しました。

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納沙布岬!!

日本で民間人が行くことの出来る最東端です!

北方領土の事があるので、そこも含めたら最東端とは言えないのかも知れませんが、まあ、政治的な事はここではなし。

それから灯台。
北海道最初の灯台のようです。

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宗谷岬もそうでしたが、日本の端に来ると、色々な事を考えさせられます。

海外からの芸術をして生活していますが、日本の知りたいことがまだまだ沢山あります。

16日の昼まで夕張を散策し、乗船時間が近づいてきたので苫小牧に向かいました。
復路(苫小牧~大洗)でも船内コンサートで演奏させていただきました。
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もう船のターミナルも慣れてきました。
空港と比べると、人や時間の流れが穏やかな感じがします。
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チケットカウンターにポスターを掲示していただいておりました。

復路でも2回の演奏です。
1度目の夜の演奏は、往路と同じスペースで。
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演奏するのは船の大きな写真のある記念撮影用のスペース。
椅子が並んでいますが、床に固定されています。

復路一度目の演奏セットリストは以下でした。

エストレリータ
鐘の響き
カッチーニのアヴェ・マリア
大聖堂
禁じられた遊び
タンゴアンスカイ

翌朝の演奏はこのようなスペースで。
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窓側が東側なので、明るく海も綺麗に見えます。インフォメーション前のロビーです。

演奏にあたっては、船内放送でアナウンスをしていただきますが、弾き始めるタイミングは決まっていません。
そんなことから、おもむろに1曲目を弾き始めるのですが、曲が進むごとにお客様が増えていくのは嬉しく思いました。

さんふらわあ号は、昨年、どの船も新型船になったそうで、とても快適です。
普段とは違った、ゆったりとした旅をすることが出来ます。

私も是非また利用させていただきたいと思います。
船関係の皆さま、北海道の皆さま、どうもありがとうございました。





15日は日本最北端の宗谷岬まで行きました。
帰りは留萌で宿泊。

翌16日は帰りのフェリーに乗りますが、乗船は17時頃なので午前中少しだけ観光をしました。
向かった先は夕張。

留萌からは3時間ちょっと。

夕張は以前は炭鉱で栄えた街ですが、今はもうその炭鉱はありません。
まずは夕張駅に行ってみました。
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趣がある駅とその周辺です。

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駅前には、ゆうばり屋台村があります。「バリー屋台」とも言うようです。
中には数店舗の屋台があります。
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通路のテーブルでも良いし、好みの屋台の中に入ってカウンターで食べても構いません。

屋台同士で協力していて、互いに接客や配膳を手伝っていました。
私が注文したのは、「いくら親子丼」
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留萌でもいくら親子丼でしたので、いくら親子丼を食べている回数が多い北海道行になりました。

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食事を終え表に出ると、電車が入線していました。電車と書きましたが、おそらくディーゼル車両かなと思います。

今回、夕張を訪れてから気が付いたのですが、2019年3月で新夕張~夕張が廃線になってしまうそうです。

時代の流れを否が応でも感じてしまう光景ですね。

駅の後は、あまり時間が残っていなかったのですが、夕張鹿鳴館にも行ってみました。
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以下の写真の部屋は、昭和29年に天皇陛下がご宿泊された部屋です。
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とても由緒正しい施設です。

庭もとても綺麗でした。
観光はこのくらいで、苫小牧港に向かいました。

それにしても、今回の北海道行は、苫小牧~旭川~札幌~稚内~留萌~夕張~苫小牧と、ダイナミックな移動でしたね。

次の投稿が北海道行の記事の最終となります。




14日のライブが終わり、15日は完全オフ日。
この貴重なオフ日。何をするか直前まで迷いましたが、かねてから行ってみたかった日本最北端の地を目指してみることにしました。

15日は早朝に札幌近郊から出発。日本海側の道をひたすら北上しました。
出発地から宗谷岬までは400キロ弱あったでしょうか。

まあ、なかなかな距離です。
ある方から、稚内の手前に豊富温泉があるということを聞いたので、途中寄ることにしました。
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日本最北端の温泉郷とのことです。
原油質のお湯なので、石油のにおいがプンプン。
入ってみると、とても温まります。

このような湯質の温泉は初めてなので、とても楽しむことが出来ました。

豊富温泉から稚内はもうすぐです。と言っても40キロはありましたね。
稚内市内を抜けて、一路最北端へ。

そして、念願の最北端の地。
着いてみるとそれなりに観光客がいます。

写真など撮りたい欲求を抑えて、まずは聞き込みも兼ね最北の食堂へ。
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「食堂 最北端」

インパクト抜群です。
そこで頂いたホタテラーメン(塩)
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これは今まで食べた塩ラーメンでトップクラスの美味しさでした。

会計の時、お店の方に、普通の観光では行かない様な穴場を教えて欲しいと聞くと、、、。
教えてくれました!!

「白い道」

という所。
砂利ではなく貝殻を敷き詰めた小道とのこと。

白いカミニートだ!! なんて(笑)

やはり、地元の人と会話するのが旅としては良いですね。
さて、その白い道に向かう前に、最北端の碑を観に行きました。

まず、観光案内所に緯度が表示されています。
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そして、最北端のモニュメント。
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この日は、稚内地方は雨との予報でしたが、私が廻った所は、タイミングよく雨が降らずでした。降っても移動中だけでした。

ここから海の向こうを眺めるとサハリン(樺太)が見えました。

その樺太には、間宮林蔵が渡ったことで知られており、その像もありました。
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間宮林蔵は徳川家のお庭番だったそうですが、樺太の調査のため、宗谷岬から樺太に渡ったそう。
隠密だったとの話もあるようですが、渡る少し前に、会津藩が樺太出兵をしていたことがあるので、調査という名目の偵察だったのかなとも推察出来ます。

そういえば、間宮林蔵の生家は、つくばみらい市にあります。
竜ヶ崎のレッスン場から車で15分程度の所です。
今度、生家にも行ってみようと思います。

宗谷岬から3キロほどの所に、間宮林蔵が渡樺していった地点があります。
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宗谷岬の間宮林蔵の像は、観光客であふれていましたが、この渡樺出発地には誰もいませんでした。

港でもなんでもない浜です。

この後、白い道を探しました。
そんなに難しくはないのですが、グーグルマップにも載っていない道だそうでワクワクします。

程なくして、白い道を見つけました。
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陽の光が当たっていないから写真だと真っ白には見えないですが、実際は本当に白いです。
人は私以外には2人しかいませんでした。

まさに穴場!!

のんびり歩いてみたかったのですが、路肩に「熊出没注意」と書いてあったので、車からほとんど離れず撮影(笑)。

稚内を後にして宿泊地である留萌へ。
留萌では美味しいお店を見つけました。
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いくら親子丼。

かなり走行しましたが、疲れを感じないほど有意義な一日でした。






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