カテゴリ: 日常のこと

ちょっと買い物で谷田部アリーナへ。高校以来に来ましたが、当時はオフロードコースが一つしかなかったのでびっくり。
ラジコンの世界で世界的に有名な国際ラジコンサーキットです。

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高校の頃は週末によく来ていました。

当時は、タミヤのマンタレイに始まり、その後、ヨコモのスーパードッグファイターに車種変更して遊んでいました。

谷田部アリーナラウンドには数度エントリーし出場したことがありますが、思い出は、初のレースで終盤まで1位をキープしたこと。その時はマンタレイでした。
仕様もノーマルベースで、タイヤがヨコモ製。その他のセッティングは覚えてません(笑)。
スタート時に各車ぶつかり合い、その合間を私が抜けて行ったというビギナーズラックです。レース初心者の私が勝てるはずもなく、終盤では後続車にバシバシ抜かれていきました。バッテリーもノーマルでしたので垂れてきて持久力がなかったのもたたりました。

その後数カ月位、「マンタレイの子」と呼ばれていました(笑)

良い思い出です。

今日は約30年振りに谷田部アリーナに寄りましたが、なんと広坂正美さんと遭遇。

テレビなどでも紹介されている天才で世界のスーパースターです。
久しぶりに、ミーハーになり写真を撮って頂きました。

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ラジコンの憧れのスーパースター。
緊張して上手く話せませんでしたが、気さくに写真に応じて下さいました。

素敵な日になりました!

最近、酷い事故が多いですね。
しかもハイブリッド車を運転する高齢者の事故が多い感じがします。

私もハイブリッド車ユーザーですが、ハイブリッド車の事故の割合が多いかどうかは分かりませんが、アクセルとブレーキの踏み違えによる事故がどうしてこんなに多いのか、自分なりに考えてみました。
これはハイブリッド車を運転する者としての運転感覚からの私見です。

速度ゼロから加速する時、例えば、駐車場から搬出時、一時停止からの右折スタートなどありますが、ハイブリッド車はスタートの加速が重いため、アクセルをガソリン車よりも強く踏む傾向があります。

これは動力がエンジンではなくモーターが先に起動するのでそうなるのだと思いますが、この踏み込みの強さの違いが結構あるのです。ハイブリッド車のつもりで、ガソリン車のアクセルを踏むとホイールスピンを起こすくらいです。実際にガソリン車に乗り換えて運転することもありますが、その違いに自分で驚いたことがあります。

逆に言えば、ハイブリッド車では加速の遅さのために、その位強くアクセルを踏んでいる事になります。

そうすると、何が起こるのか。

自分が欲しいと思う動力を得るのに強く踏んでいるのですから、突如、止まらなければならない局面に当たった時に身体がとっさに動きにくくなる可能性があります。

力が入っている分、アクセルを離す動作に移るのが遅れるということです。

また、これは楽器を演奏しているときにも共通することが起きる場合がありますが「力を抜かなきゃ」と思っても力みが抜けないで力が入ったままの状態になる時があります。それはレッスンも含めてですが、人前などで演奏するような緊張状態の時に起きやすいように感じます。

踏み違えで、ブレーキも踏まずに事故を起こすのは、そのような現象が足に起きている可能性も否めない気がします。

一瞬の危機回避はレーサーでも難しいと聞いたことがあります。

踏み違えの事故は、この事だけが原因ではないと思いますが、機械の特性と身体への影響の繋りを度外視して運転してしまうと、思いもよらない事故を生んでしまう可能性があるのかもしれません。

たとえば、ハイブリッド車を運転する時は、右折時はガソリン車と同じ感覚では対向車の距離感を変えなければなりません。

うちの両親は、特に右折時の感覚がガソリン車の方が好きだそうです。
ハイブリッド車が良くないと言っているのではありません。車にもよりますが、年間二万数千キロ以上走るユーザーならハイブリッドの方が経済的です。

個人的には、ガソリン車のあのエンジン音が好きなのですが、経済面から考えたらハイブリッドの方が良いのでそうしていますが、長距離ドライブが減ればガソリン車にしたいというのが個人的な感覚です。

ガソリン車とハイブリッド車の特性の違いを意識しながら運転していきたいところです。

予科練平和記念館に行ってきました。

比較的近くにあるのですが、行くのは初めてでした。
現在、予科練平和記念館では、特別展として「予科練に志願した昭和の少年たち」というイベントをおこなっています。

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入館料を払うと、チケットとして下の様なカードを貰います。

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予科練とは、「海軍飛行予科練習生」及びその制度の略称だそうです。
第2次世界大戦終結までの海軍の航空隊に属する組織ということですね。

飛行機の搭乗員の養成は、14歳半から17歳までの全国の者から選抜試験を行って訓練をしていったそうです。
これは、表向きには志願という形だったそうですが、展示物を見ると、試験のための呼び出し状などもあったので、志願も召集もどちらもあったということなのでしょうか。

志願した人の動機が紹介してありましたが・・・

・ただ純粋に飛行機乗りになりたかったから
・家計が苦しかったから収入の足しにするため

など、いろいろな事情があったようです。
もちろん、当時のことですから、「お国のため」といって志願した人もいるのでしょう。

そんな彼らは、戦争末期には、特別攻撃隊に配属されたりしていきました。特別攻撃隊、いわゆる「特攻隊」に配属になると運命がそこで決定されます。

展示の中に、予科練生が家族に充てた手紙が紹介されていました。予科練に入学したころから出撃した後までの数々の手紙です。
その人は入学したのが15歳の時。

入学当初は、「予科練がつまらない」「なじめない」「映画なども見て遊びたい」といったような状況と心境が連ねてありますが、次第に軍人らしい物言いになっていきます。

最後の手紙は、オランダ領インドシナに向けて発った後、移動中の船で書いた手紙でした。
彼が19歳のときです。
そして、インドシナで戦死。

予科練生の頃から最後の手紙まで幾度となく書いてあったのは、家族を気遣う内容ばかりでした。


前に特攻隊の遺書もいくつも読んだことがありますが、どれも家族を気遣う内容ばかりで、また気遣うだけでなく一見、とても明るく書いているのです。
とにかく周りに心配を掛けたくないというような気遣いが見えるので、とても胸が苦しくなります。
人は、本当に苦しいときは、周りに迷惑や心配を掛けたくないと思うから、その心境とは逆行して明るくふるまうのでしょう。なんだか、とてもよく分かる気がします。


私が小さいころ、祖父の家に遊びにいったとき、祖父の友人がよく遊びに来ていました。
彼は、元「特攻隊員」でした。

出撃まであと2日というところで、終戦になった経緯があり、特攻隊の出撃前の様子を話してくれたことがありました。
出撃の約1週間前から出撃までは、食べたいものは何でも食べることが出来るという、至れり尽くせりの待遇を受けるそうです。

最近は、憲法改正だなんだと話題がにぎわっています。
今日、予科練平和記念館に行ってから、改めて第9条の条文を読んでみましたが・・・。

戦争を放棄するということがどういうことなのか。
考えただけでも恐ろしいことではないでしょうか。
条文には、放棄の意味としてなにも触れていません。他国に攻め込まれたときのことも触れず、ただ戦争を永久に放棄する」と記載されているだけです。

毅然とした態度を取ることが出来る国になって欲しいです。

このように思うようになったのには理由があります。

在米中、米国で同時多発テロが発生しました。
その後、イラク戦争がはじまりましたが、日本からは自衛隊が支援として出動しました。
あの隊長と隊員たちが出発するところが、アメリカのニュースでも放送されていました。私はそのニュースをアメリカのバーでカウンターに座りながら見ていました。
出動したのが良いのか悪いのかは置いておいて・・・私が純粋に感じた気持ち・・。

「無事に帰ってきてほしい」

後方支援とは言え、派遣が良いかどうかは政府が決めることですが、なぜか、自分の家族のように、「行かないでほしい」「無事に帰ってきてほしい」という感情が沸き起こりました。

戦争は絶対にいけない。
だけど、他国から領土を侵害される場合を想定して、自力で守るだけの力と法の整備はしておいてほしいと思います。

多くの若者が予科練に志願して、そして散った。
それだけでなく、多大な犠牲のうえに昭和から平成の今があるということを私たちは忘れてはいけないと思った一日でした。

庭に植えているヒマラヤトマトの木。

前記事では実を掲載しましたが、今日は木と葉です。


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手と葉の大きさを比べてみてください。
かなり大きいです。

葉の茎の付け根にはまた新しい芽が出始めているので、まだ大きくなるということでしょう。

実の大きさはまだあまり変わっていませんので今回はアップはなしです。

今日は、私のCD[ミ・コラソン」のジャケットに使っている写真についてです。

このCDは一昨年の12月に発売されたのでちょっと時間はたってますが、クラシックのCDなので、あまり出た時期は気にせずに取り上げます。
帰国前にアメリカで録音をして、写真もアメリカで撮る事になりました。


彼と知り合ったきっかけがまたひょんなきっかけでした。
アメリカに持っていっていたものの中に、伊万里のそば猪口がありました。それを帰国の際にオークションで手放そうと思い、ネットに載せたのです。そこで問い合わせてきたのがカーティス。

「その伊万里はいつごろの?」
「ずっと日本に住んでたんだ」

ということで応答を何度か繰り返しているうちに、彼が近くに住んでいることが分かり、パーティに呼ばれることになったのです。お互いにフォトをやっているとか、ギターをやっているということとは関係なしに知り合いに意気投合しました。

もうすぐに帰国してしまうことと、CD制作の計画中だということをいうと、じゃあ写真撮ってあげる!といってくれたのです。彼はこれまでに、マドンナやアンディ・ウォッホル、日本では数多くの著名な芸能人を撮ってきている人です。
ポートレートはここで見ることが出来ます。
http://www.curtisknapp.com/DOCUMENTS/main_front_index.html



後日撮影では、ファンキーな服を持ってきて、といわれたので、普段演奏で着る服と、カウボーイシャツがあったので持って行きました。彼はカウボーイシャツを見て「おいおい、本当にファンキーなのを持ってきたね」と大笑い。


撮影は彼の実力を思う存分見せてもらいました。12枚のフィルム1本で3種類のショットを撮ってしまったのです。1-2枚シャッターを押して、「はい撮れた」だって、、。かれは古いカメラを使って、撮るのが好きなようで、撮ったときにはデジカメのように画像の確認は出来ないのです。だけど、1-2度シャッターを押しただけで決めてしまうその実力はさすがだと思いました。


こちらも撮られながら、どうやって撮るのかなと観察していると、私がまばたきするまで撮らないんですね。まばたきした瞬間にシャッターを押すんです。

彼いわく「なぜか写真を上手く撮れるからこの仕事をはじめた」そうです。天才肌ってやつでしょうか。


彼のホームページに私のCDジャケットもどこかにあります。ぜひぜひ探してみてくださいね。

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