2017年05月

少し前に備忘メモをしていた内の一つ。
WTC(世界貿易センタービル)の追悼チャリティコンサートの様子をブログで紹介して欲しいという要望を帰国して間もないころから何度となく受けていました。

チャリティについては、あまり宣伝するものでもないと思い、紹介するのは控えていたのですが、今まで頂いている声にお応えし、コンサートを行った経緯について書いてみたいと思います。

2001年9月11日。
アメリカ合衆国で発生した同時多発テロ。

当時は音楽院3年目の学生でした。

その日は、日本の実家からの電話で起きました。
「そっち大丈夫なの??テレビつけて!!」

という内容でした。
寝起きでいまいち状況が分からない私はテレビをつけてみました。
その数分後、2機目の飛行機があの世界貿易センタービル(以下WTC)に突っ込む映像を目にしました。

まるで映画か??と思ってしまうような映像でした。

しばらくテレビにくぎ付けでしたが、自分のその日の授業の時間が近づくと、「学校は通常とおりか休校か?」という疑問も沸いたので、2ブロックの所にある学校に向かいました。

ダウンタウンで交通の激しい通りもパトカー以外走っていません。
学校に着いてから知りましたが、ボルチモアにも世界貿易センタービルがあるため、狙われる可能性も踏まえて外出禁止令が出されていました。
ですので、帰りはパトカーに見つからないように気をつけながら歩いた記憶があります。

学校のカフェテリアにあるテレビには学生が鈴なりの様になっていました。

従妹や知人がWTCで仕事をしているという学生も何名かおり、泣いている学生もいました。

そして、NYだけでなく、ワシントンDCでもペンタゴンが狙われました。
当時のギターカルテットメンバーの知人が、ペンタゴン勤務で、丁度飛行機が突っ込んだ辺りがその人の事務室。
しかし、早く出勤して時間に余裕があったから外でコーヒーを飲んでいたそうです。
そのため、その知人は無傷だったそうです。

このような話は、当時はいくらでもあったはずです。

同時多発テロ後、自分に何か出来ることはないか考えました。
募金をしようにも、学生でとてもそんな余裕はありませんでした。

何かしたいという気持ちと資金がない狭間で、色々と考えた末、あるところにメールを送りました。

送信先は、日本赤十字社。

細かい文面は覚えていませんが、以下のような希望を送りました。

「自分はボルチモアに音楽の勉強に来ている。募金する力はないが、音楽で励まし合い、集まったお金を募金したい。」
という趣旨です。

適所かどうかも分からないまま送信し、少し待っても返信は来なかったので、次第に返信の期待も薄れ、日常生活に集中する日々が再び回り始めました。

それからどの位経ったでしょうか。
数か月経っていたかと思いますが、ある日突然、ニューヨーク大学の方からメールが来ました。

チャリティコンサートの発案をしているのはあなたですか??
という確認の内容でした。

日本赤十字社に送ったはずの返事がニューヨーク大学から来るとは夢にも思いませんでした。

後の打ち合わせ時にお聞きしたところ、私が送ったメールは、赤十字社からあちこちに転送され、協力出来る部署があるかどうか何か所も転送され続けていたのだそうです。

この連絡を送って来て頂いたのが高橋裕次さん。

2002年3月に一度NYまで打ち合わせに行きました。
移動には、グレイハウンドというバスを利用しました。片道大体4時間程です。
この時は日帰りでした。

バスでは英語を全く話せない中国人が私の隣に座り、自身の目的地にどのようにして行って良いか分からないから教えたりもしました。このやり取りはすべて筆談(笑)。
互いに漢字は分かるから、なんとなく言いたいことが分かったんでしょうね。

私も初めての渡米では英語が全くダメで、飛行機が欠航になってしまい日本人に助けて貰った経験があります。その日本の方からは、「角さんが英語を覚えたら、英語を話せない人がいて困っていたとき助けてあげてください。それが私に対する恩返しです。」という言葉を頂いていたので、少しだけ恩返しが出来た気もしました。

話は逸れましたが、3月の打ち合わせでは、私含めて5―6名集まった記憶があります。
高橋さんの他、ギターの長野剛さんもお力添えしていただいたことは光栄でした。それからフジテレビ関係の方など。
各分野のエキスパートが集まりました。


会場は、マンハッタンにある教会が、無料で貸して頂けることになりました。
演奏者、スタッフ、経費は全て自己負担ということを条件に、プロジェクトが動き出しました。
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演奏者は、日本だけでなく多国籍にしたかったので、何名もの仲間に声を掛けましたが、皆快く参加を表明していただきました。
演奏は、ラファエル・パドロン(キューバ)、クリス・ダン(アメリカ)、ソーヨン・パーク(韓国)、ヘレン・バン(韓国)、角昌子&角圭司

メディア関係の有志もあったため、宣伝は幅広く行っていただくことが出来ました。
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上の写真は、朝日新聞国際衛星版2002年4月13日号です。

告知演奏として、4月13日と14日には、NYの紀伊国屋書店ででも演奏させていただきました。
肝心の寄付先ですが、私の父が消防関係だったこともあり、ビルに救助に入った消防隊員のご遺族のお子さん達に文房具・学習道具の費用に充てていただくという名目で、NY消防協会に募金することになりました。

WTCでは私の記憶が間違っていなければ300名以上の消防隊員が殉職しました。
そのニュースを見た当時、いてもたってもいられない自分がいました。

以下は、当日プログラムです。
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消防協会がコンサートのために、会場に掲げるためののぼりを貸し出して下さいました。
こののぼりを見たときには、気合が入りました。

上の写真は終演後の有志達。
皆さんそれぞれ、その道で活躍されている方ばかりです。

集まったお金は後日届けられたと連絡が入りました。
「連絡が入った」というのは・・・

顔合わせや告知演奏、コンサート当日と三度NYまでを往復したので、募金をする日には、私にはNYまで足を運ぶお金がありませんでした。
有志の方々が数名で届けてくれたのです。

当時の文具等を使っているであろうアメリカの子供たちも、もう大学生以上くらいになっていることでしょう。
懐かしい想い出であると同時に、思い出すと「まだまだ頑張るぞ!!」というエネルギーも沸いて来ます。

21日は、埼玉県宮代町の進修館でオカリナの河崎敦子さんとコンサートを行いました。

事前の準備段階から皆様のきめ細かなお力添えにより、演奏のみに集中することが出来ました。

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会場は、どことなく宮殿かなにかを想像させる様な雰囲気もあり、その独特な建物のせいか、コスプレをした人たちが撮影に集まるスポットとしても有名のようです。

一昨日も、コスプレをしてカメラを下げた人たちが、思い思いの場で写真を撮っていました。

小ホールは、これもなんとなく面白い空間。

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チケットは、コンサートの1ヶ月ほど前に売り切れになったようです。

演奏は、前半クラシック、後半は色々なジャンルの音楽をしました。

コンサート後、アンケートも拝見させて頂きました。
枚数からすると、ほとんどのお客様がアンケートを書いていってくれてのではと言えるほどの回収率。

想像以上にUFOの反響があり(笑)
しばらくネタに出来そうです。

スタッフの皆様、大変お世話になりました。
また宮代町で演奏したいと思いながら帰路につきました。

どうもありがとうございました!!

19日は、山下亮江さんとコンサートでした。

会場となったギャラリーNoboは土浦市にあります。落ち着いた雰囲気の小さなサロン。

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ギターには良く合う空間だと思いました。
演奏した曲目は以下です。

★ソプラノ&ギター
グラナドス「トナディーリャ集より」
・街をさまよって
・分別あるマホ
・内気なマホ
・ゴヤのマハ
・マハの眼差し
・トゥラララとギターのつま弾き
・悲しみにくれるマハ第1番
・悲しみにくれるマハ第2番
・悲しみにくれるマハ第3番
・愛と憎しみ

★ギターソロ
・愛のロマンス(禁じられた遊びより)
・エストレリータ(ポンセ)
・アルハンブラの想い出(タレガ)

★ソプラノ&ギター
7つのスペイン民謡(ファリャ)
・ムーア人の織物
・ムルシア地方のセギディーリャ
・アストリア―ナ
・ホタ
・子守唄
・うた
・ポロ

7月には、ギターソロで!というご提案を頂きました。
土浦を活気ある地域にする活動をしているらしく、サロンコンサートをするのもその一環とのことです。
また楽しみです(*^^*)

ご来場頂いた皆様、どうもありがとうございました!

昨日のコンサートについては後程書きたいと思いますが、、。

最近、ブログに取り上げることを考えている内容が2つほど。

・在米時に行った世界貿易センタービルのチャリティーコンサートについて

・いつ練習してるのか

ということ。
たまに生徒さんや知人から言われるこの2つのこと。

前にも書こうと思っていたときがありましたが、毎日の事をこなしているとついつい忘れてしまう。。
ですので、今度こそは書こうと思って備忘的なメモをここにしておきます笑。

さて、明日はオカリナの河崎さんとコンサートです。

楽しみです!!

19日は土浦市でギターとソプラノによる「スペイン歌曲」サロンコンサートを行います。

タンゴトリオA.R.C.でおなじみの山下亮江さんと演奏します。
A.R.C.は結成して7年が経ちますが、山下さんと知り合ったのは、それよりももう少し前。
知人を介してスペイン歌曲のコンサートを2010年にしたのがはじまり。

久しぶりの山下さんとのスペイン歌曲です。
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予定曲目は以下です。

★ソプラノ&ギター
グラナドス「トナディーリャ集より」
・街をさまよって
・分別あるマホ
・内気なマホ
・ゴヤのマハ
・マハの眼差し
・トゥラララとギターのつま弾き
・悲しみにくれるマハ第1番
・悲しみにくれるマハ第2番
・悲しみにくれるマハ第3番
・愛と憎しみ

★ギターソロ
・愛のロマンス(禁じられた遊びより)
・エストレリータ(ポンセ)
・アルハンブラの想い出(タレガ)

★ソプラノ&ギター
7つのスペイン民謡(ファリャ)
・ムーア人の織物
・ムルシア地方のセギディーリャ
・アストリア―ナ
・ホタ
・子守唄
・うた
・ポロ

今日、弦を交換しましたが、サジタリウスの調子も上々
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先日、三浦さんにお話を伺ったとき、レーシングマシンに例えて話していました。
全く同感です。

私の杉の三浦ギターはそろそろ4年目を迎えようとしていますが、弾き込んでは楽器の特性を感じるように心がけ、そして、楽器を成長させていく。
これは、弾き込むだけでは足りないんですね。

だからレーシングマシーンの様だということ。

現役の制作家の楽器を使用する最大の醍醐味ですね。
ここ数年、楽器にやみつきになっている自分があります。

そういえば、高校の頃、ラジコンに打ち込んでいた時期がありました。
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友人がやっていたのを見て、自分も興味を持ちました。

これがまた、おもちゃではなくて、国際ラジコンレースで活躍していたモデルだったので、セッティングが大変でした。
ダンパー一つとっても、バネの種類を選ぶのや、ダンパーオイルの選択。そして、路面とダンパー周りを考慮したながらタイヤも同時に検討しなければならない・・・。タイヤだけでも10種類くらい持っていました。
それでも自分は少ない方でした。。

その上、ウイングの角度やら、モーターの特性、ギアーのチョイス他、数え切れないほどセッティングでいじらなければならないので、ベストなセッテイングを出すのは、素人の私ではとても難しかったです。

さらに、気温や湿度により路面の状態も変わるので、それでまたセッティングが左右される・・・。
マシンを検索したら、HPが色々ありました。

楽器と同じですね。
好きになればなるほど、楽器も奥が深い。

話が飛んでしまいましたが、今週は杉のサジタリウスで行きます。
是非、お越しくださいませ。



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