2013年11月

京都の寺社巡り2日目は、朝から歩きました。
久しぶりに三十三間堂に行ってみたかったので朝から行くことにしました。宿からおよそ2キロくらいの距離でしたが、徒歩で出発。

開場の9時よりも早く着きましたが、チケット売り場は行列でした。これでは15分から20分はロスしてしまうと予測して、すぐそばにあるもう一つの興味がある場所に向かいました。

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これは養源院というところ。
ガイドブックでは、俵屋宗達の杉戸絵があると紹介されていたので、興味があって行ってみました。それだけの情報で訪ねたのですが、ここはとても興味深い場所でした。

建物に入り正面に宗達の絵があります。
これに見入っていると、受け付けのおばちゃんが、「案内しますからこちらに来て下さい」と私を誘導していきます。

開場と同時に入ったので、拝観しているのは私のみ。

色々な説明をゆっくりとしてもらったのですが、ここには徳川家の菩提寺となっていて、徳川家歴代の将軍と浅井長政、お江の位牌がありました。位牌が収められている部屋に入ると宗達の金襖絵が両側にあります。圧倒的です。

そして、正面の向かって左側に3名の位牌がありました。左から浅井長政、徳川秀忠、お江の位牌です。私としては、驚きの連続でしたが、説明のなかにその3名の各位牌には、皇室の御紋、徳川家、豊臣家の家紋が入っているとのことでした。位牌にはそのとおりに家紋が刻まれています。
なぜ、その3種類の家紋が同じ位牌に入っているのか・・・。
特に、徳川家と豊臣家は敵対した勢力です。
普通では考えられないことのはずですが、秀忠とお江、それから長政の関係からこれは納得。
では、なぜ、皇室の御紋があるのか。
これは、秀忠の五女が皇室に嫁いでおり、五女がこれらの位牌を作ったからだそうです。

普段はなかなかそれらが見えないのだそうで、「貴重なものはなかなか見えないものなのです」と紹介するそうです。しかし、珍しく陽の光がよく入り,タイミングよくはっきりと確認をすることが出来ました。

そしてお堂を囲む廊下は「血天井」と呼ばれる特別な廊下でした。
ここの天井の板は、伏見城の廊下に使われてた板で、伏見城が落城した後に自害した武士たちを供養する意味で入れられました。

当時は、東軍の鳥居元忠が1800程の兵と共に伏見城で西軍を迎え撃ちました。宇喜多秀家と小早川秀秋をはじめとする軍勢を前に奮戦しますが、鳥居元忠は最後に家来と共に自害します。その自害した際の血のりが廊下の板に染み込み残ったというものです。鳥居元忠本人の跡も教えてもらいました。
顔から顎の輪郭、胴から腕や脚がはっきりと分かるものでした。自害した時の刀の角度まで痕にのこっています。これらの板はきれいに洗ったのだそうですが、伏見城落城の場合は、自害してからしばらく遺骸が放置されたままだったため、血が板深くまで染み込み、くっきりと痕に残ったということでした。この他にも家来たちの手や足の痕など沢山見ることが出来ました。

俵屋宗達の絵を見に来るつもりで入った養源院でしたが、様々な歴史のリアルな痕跡を見て衝撃に近いものを感じました。

養源院のあとは三十三間堂。

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ここは、中学の修学旅行で訪れて以来です。
とても不思議な空間です。

それから、豊国神社から方広寺に行きました。
方広寺はもともと広大な敷地からなっていて、三十三間堂までも取り込んでいたそうです。現在は梵鐘が有名なものとして残っています。

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結構大きな梵鐘ですが、これを見に来た目的は大きさや形ではありません。
見に来たのは梵鐘にかかれている文字です。

徳川家康が豊臣氏征伐を行うきっかけになったという梵鐘。

「君臣豊楽」
「国家安康」

という有名な文字ですね。
これがきっかけで大阪の陣が始まりました。

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実際に見てみると、沢山の語が書かれている中のごく一部がこれなんですね。
どうみても、家康のあてつけにしか見えません。
それほどまでに豊臣家を抑え込んで安定したいということだったのでしょう。

歴史の一コマを、目の当たりにすることが出来るような不思議な感覚にさせられます。
京都は、まだまだ見どころが沢山です。何度来ても良いところですね。

先週末は、昼過ぎに京都に着き、比叡山延暦寺に行きました。

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新幹線で京都まで行き、地下鉄から叡山鉄道、ケーブルカーに乗り、さらにロープウェイと何度も乗り換えをしてようやく比叡山延暦寺に着きます。

上の写真は、比叡山のケーブルカーの駅舎。
駅の周りでは紅葉がとても綺麗でした。

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比叡山延暦寺というと、真っ先に思いつくのが織田信長による焼き討ち。焼き討ちは確か明智光秀に命令をして行ったと思いますが、聞いた話によると、信長の前にも足利将軍や細川氏からも攻められたことがあるそうです。

比叡山頂からは、琵琶湖も望むことが出来、おそらく政治的にも重要な場所だったであろうことが窺え、政治に介入する動きをみせた勢力に対して信長は厳しい対応をしていったのかなと思いました。

延暦寺の範囲はとても広いですが、根本中堂はとても素晴らしかったです。

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帰りのロープウェイ駅から京都の街を見下ろしたところ

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なんだか幻想的な気分に包まれます。

暗くなってから帰りの叡山電車に乗りましたが、車内でガイドブックを眺めていると、現在、紅葉のライトアップもやっていることが分かり、地下鉄の祇園四条で下車し知恩院に足を運んでみました。
三門がなんといっても凄いですが、丁度、ライトアップの期間は三門の塔内も特別公開をしていて、運良く中を拝観することが出来ました。
江戸時代に作られた仏像や16羅漢像があり、門の中にこのような荘厳な格式があるものが収められているとは驚きました。

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ライトアップされたもみじは、紅の色が強調されるようで鮮やかです。
庭園では、足もとにもいくつもライトが仕掛けてあり、とても上品な雰囲気でした。

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前々記事で触れた本「影法師」。

 この本を現在読んでいる方や、これから読む方もいるかとは思いますので内容についてはあまり細かくは触れないようにはしたいと思いますが、タイトルの「影法師」とはどういうことかについて少し。
私も影法師がどういう意味でタイトルとして付けられているのか初めのうちは分からなかったのですが、読み進めるうちにだんだんと分かっていきました。

 彦四郎と勘一。

 二人は身分の違う武士です。
 彦四郎は中士、勘一は下士。この身分の差には歴然とした差があり、身分を超えての結婚もかなわないような家格の違いがありました。
 あるきっかけにより勘一は彦四郎が通う藩校と剣の道場に通うことになります。彦四郎は頭脳も明晰で剣は藩の上覧試合でトップの成績を収める遣い手。勘一は、道場に通うようになったよりもしばらく前の事件で父親を失いますが、それをきっかけに猛烈な木刀の打ち込み練習をします。
 勘一は少年時に目にした一揆から、将来、新田開発をして人々が豊かになるようにとの夢を持ちますが、なんといっても下士という家柄。将来の出世は絶望的な環境でした。

 あるとき、藩主から上意討ちの命が下り、その任務を彦四郎と勘一が担うことになりました。相手も2名の剣の名人。
 その対決で、天才的な剣を使う彦四郎が切られてしまいます。命は取り留めたのですが、その傷がきっかけとなり彦四郎はそのとき就いていた役職も失い、街中で娘に狼藉を行い藩を逐電。逆に勘一は一気に出生街道を走り出します。
 勘一は、ついに藩の筆頭家老まで上り詰めます。そして、念願の干拓の新田開発を実現していきます。

 彦四郎は、逐電を境に居場所もよく分からなくなってしまいました。しかし、狼藉の被害を受けたとする女性の話から、彦四郎は、女性に危害を加えたのではなく、また、女性も彦四郎が発した一言で狼藉ではないことを自覚していたのです。
 勘一には、干拓を成功するまでに様々な妨害が入ったりするのですが、間一髪のところで救われていきます。周りの人々は、困難を乗り越えるごとに勘一の剣の凄さを称えます。

 しかし・・・

 勘一は、最後の最後で、彦四郎に感謝で嗚咽します。
 彦四郎が取った行動は全て友のためだったのです。


 以上、内容はこの程度にしておきます^^
 人は生きていると、自分には見えないところで、支えてもらっていたり、助けてもらうことがあったりします。ですが、現代の世の中ではそういったことが昔よりも少なくなったのではないかと感じたりもします。
 これは真の友情、絆を描いている物語だと思います。

 私も推薦してもらって読んだ本ですが、是非、皆さんも読んでみてください。
 感動する作品です!!

23日は、堺市で松岡滋さんの教室の発表会で演奏をさせていただきました。
皆様とてもギターが好きな方ばかりで、また、とても温かく迎えていただき、とても楽しい時間でした。

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松岡さんと

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ゲストの岩崎慎一さんと。互いに、使用している三浦ギターを持って撮りました。


どうもありがとうございました!!

先週末は、大阪の堺市で演奏の機会をいただきました。23日、土曜日の演奏で、その日の午前中からと前日は京都の散策もしました。

この関西行には、携帯を持っていくのを忘れました。
自宅を出てすぐに携帯を忘れた事に気がついたのですが、新幹線の切符を指定席で購入していたため、取りには戻らず。

そのため、写真は全てデジカメで撮影しましたが、撮った写真のリサイズの仕方を未だに修得しておらず・・。

写真入りでは、改めてアップしたいと思います。

さて、往復の移動では、携帯がないので読書が進みました。

少し前に手に入れていた「影法師」を読みました。
一度は読み終わっていましたが、空き時間にちょびちょび読んでいたので、内容を十分に理解まではしていませんでした。
はじめの数ページで何名も登場し、武士の名前なので読み始めが一番時間がかかった気がします。

二人の身分の違う武士のそれぞれの心願と運命は、読んでいてとても身にしみるような内容でした。
今の時代に薄れてしまった何かを忘れてはならないという教えがあるような物語だと思います。

彦四郎と勘一

全く違う運命を辿りますが、どちらも人間的で私たちが見失ってはいけない心持ちということなのでしょう。

今は「永遠の0」の読書中。二回目です(*^^*)。

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