2012年02月

先日、庭の樫の木を切りました。

太さも結構あり、そのまま捨てるのはもったいないので丁度良い長さに切断し足台を作ってみました。

まずは、木の皮を剥かなければなりません。


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まずはノミを当てて金槌で叩いて落としていきます。

そのあと、ノミだけで少し削って、カンナがけ。

それから、紙やすりの#60、#400、#2000を順次使用して磨いてみました。


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こんな感じになりました。

さらにニスをかけて、底にも少し手を加えようと思っていますが、さっそく練習に使ってみようと思います。

2日目(2月10日)は、名古屋市内を中心に観光しました。


名古屋城は徳川氏によって築城された城です。

信長の時代は那古屋城と言っていましたが、天守があったところには現在は石碑が建っています。

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敷地内では御殿の復元建設工事が行われていました。
戦災で焼失してしまいましたが、資料がいくつも残っていて復元が可能だということでした。工事中ですので、ヘルメットをかぶっての見学になりました。

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天守閣も戦災で焼失してしまったようですが石垣やそのほかの櫓は残っていました。
石垣の石をよく見ていくと刻印が刻まれているのがいくつもあります。

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多くの大名が築城に関わったから、自分の家が築城に従事したという証拠を残したかったのかもしれません。
名古屋城は国宝指定第1号です。

その天守閣は巨大でとてもカッコいいです。

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これも復元なのですが、展示している写真で驚くようなものがありました。

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空襲で炎上している時の写真です。
本丸の大きさはとても大きいのですが、その大きさからみると、炎は巨大なものだということが分かります。アメリカはとんでもないことをしてくれたものです。

・・・・・

本丸(天守閣)から正門に戻ると、いました!
ゆるキャラが。

ハチ丸くんというキャラクターです。

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ツーショットで撮ってもらいました。


名古屋城の後は、万松寺に行きました。
信長の父・信秀が亡くなった時に葬儀が行われた寺です。当時はかなり多くの僧が葬儀に出席したようですから、大きな寺院かと思っていましたが、いくら歩いても見つからないのです。

地図を見ながら行ったり来たりして、ようやく見つけました。
しかし、商店街の一角にひっそりとあるので、一度前を通ったのに気が付きませんでした。普通に歩いているとまったく気が付かないほどです。

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提灯が下がっている通路を抜けると墓所があります。織田信秀公です。
清州から移したものですが、とても歴史を感じ取ることが出来ました。

この万松寺近辺は商店街が連なっています。大須観音もありましたが、そのすぐ近くにから揚げ店が。

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1ピースがとても大きく、揚げたてでとても美味しかったです。


最後は、政秀寺。

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信長の幼少時、守役だった平手政秀を弔うために建立された寺です。

テーマを作って観光すると、時代背景なども想像しながら歩くことが出来ます。さまざまなことを考えながら見ていると、晩年は狂気とも思えることもしますが、桶狭間の戦い前後までは少なくとも信長がうつけだったとは到底思えません。

また、何かテーマを見つけてどこか旅がしたいですね。

帰りの新幹線では、往路と同様に富士山がとてもきれいに見えていました。

2月9日と今日にかけて名古屋に行ってきました。
私は戦国武将では織田信長にとても興味がありますが、せっかくなのでテーマを織田信長にして史跡を巡りました。

天気予報によると天気が少し心配されましたが、雪の予報が出ていた名古屋でもまったく降らず、むしろ晴天に恵まれました。
新幹線からは富士山もとてもきれいに眺めることが出来ました。

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まず、最初に向かったのは清州城。織田信長の活躍はここから始まったと言っても良いでしょう。

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信長時代は清州が都市としても名古屋以上の栄華を誇っていたようですが、徳川氏によって名古屋城が新しく築かれて都市の中枢機能が清州から移されると、城も廃城され、街も活気を失っていったそうです。
ですから、今回見た城はもちろん復元の城ということになります。

しかし、城内の庭園はとてもきれいでした。

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本来天守があったと推定されるところには、信長の石碑がありました。


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清州城の次は、名古屋市に戻り熱田神宮へ。
今回の旅で、私にとってメインと位置付けているところ。


1560年に桶狭間の合戦がありましたが、信長が敦盛を舞った後、城を飛び出した時はわずか5-6騎しか後に続かなかった。それも、信長は自らの作戦を口にしなかったからだとされています。
おそらく、必ず勝たなければいけない戦いで安易に口にしてしまうと敵に情報が漏れてしまうことを恐れたのかもしれませんね。

最近の研究では、桶狭間の戦いは奇襲ではなく、強襲であったという説が強いようですが。

籠城を勧める家臣がいるなか、援軍の期待も持てなかった信長は、自身の作戦を誰にも語らず電光石火のように城を飛び出したということでしょう。
大将が飛び出せば、部下は従わないわけにはいかないということも作戦の内だったのかもしれません。2万5000とも4万ともいわれる今川軍を迎え撃つには、2000あるいは4000と言われた織田軍であれば普通ならば怖気づくことも考えられるわけですが、実際に義元を撃ち破ったことを考えれば兵の忠誠度は高かったのかなと思えますね。

わずか数騎で清州をでた信長は熱田神宮に寄ります。
そこに、続々と兵士たちが集まったというわけです。
ここで、信長は戦勝祈願をしました。

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このあと、見事に信長は義元に勝つことが出来たのですね。

戦いでは大勝したので、戦勝祈願のお礼に塀を立てたというのですが、信長塀という名で残っています。

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参道沿いには、大楠の木がありました。
樹齢は1000年以上で、弘法大師のお手植えとも言われているそうです。

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それから、名古屋で最古の石橋というのもありました。二十五丁橋というそうで、25枚の石でできているそうです。この橋では西行法師が休息したということも書いてありました。

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熱田神宮は広大な敷地でした。
2日間ともに2万歩以上歩きましたので足が結構疲れましたが、とても楽しい史跡めぐりです。


熱田神宮の後は、名鉄で中京競馬場前で下車。
駅から徒歩2分ほどのところに桶狭間古戦場跡があります。小さな公園のようになっています。

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古戦場は一か所だけではなく他にも跡地がありますが、私が行ったところには義元の墓所があり、そのすぐ近くには7つの小さな石碑があり数字が付けられています。
1が義元が討たれた地点。2から7までは家臣が討たれた地点で、公園のような敷地の中に点在していて妙にリアルな感じがしました。

桶狭間の戦いは、2000対2万5000とも言われていますが、実際には、義元の本体は5000程だったのではないかと様々な書籍で紹介されています。ほかの部隊は各地で転戦しているわけですからその通りなんだろうなと思います。

義元は駿府(静岡県)から日数をかけて遠征しています。
そのため5000と言ってもその大半は荷駄隊だったと言われています。要するに戦闘部隊ではなく補給部隊ですね。
そして、信長は短時間で決着をつけるための出陣で、すべての兵が実戦部隊だったと書かれているのを見たことがあります。

そうすると、数では義元が上回っていますが実質はほとんど互角の状態だったのではないかと思えますね。
資料によっては、山を駆け下りて義元の本陣に襲い掛かったのではなく、義元は桶狭間の山の上に陣を敷いており、信長軍は攻めのぼったという分析もされているようです。兵の能力から考えると十分に義元に勝つことが出来たのでしょう。
実際の話、一国一城の大名が陣を敷く地を考えるのは当たり前の事です。また、不意を突かれてもろくも負けたのではなく、かなりの激戦だったということも窺えます。古戦場跡が一か所ではないのは、義元が退却をしながら戦い続けたからだそうです。
両軍がぶつかった場所と義元が戦死した場所は違うようですし、信長方も多くの家臣を失っていますから、義元軍が油断していたとはあまり思えないのです。
当時の地形は、海岸線も現在よりも内陸にあり入り組んでいて、若いころから野山を走り回っていた信長は、義元の動きや場所が頭の中でち密に計算して捉えていたのではないでしょうか。
その分析のために一番役に立った情報をもたらした梁田氏が第1功労者となっていることからも言える気がします。
まさに、情報戦ですね。

そんなことを考えるととても興味深いです。

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古戦場跡地から道を挟んで向かいには、光徳院というお寺があり、そこは義元公の本陣跡という碑がありました。

それにしても、清州城から熱田神宮までは電車で数駅ですし、さらに桶狭間まではさらに数駅です。
この距離をよく短時間で移動したのだと思うと、気が遠くなる思いです。

騎馬武者は良いけど、足軽は大変だったろうなぁ・・。
のんびり歩くだけでも疲れましたからね。 ^^


夜は、名古屋駅近くで、味噌かつ定食でした!

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3月20日にギターショップアウラのサロンでコンサートを行います。
私のCD[音彩」の発売記念コンサートです。

アウラの名器を使用しての名器コンサートにもなる予定です。

3月20日(祝)
15時開演
入場料:2000円
http://www.auranet.jp/


プログラム
マリエッタ(タレガ)
アデリータ(タレガ)
アルハンブラの想い出(タレガ)
魔笛の主題による変奏曲(ソル)
大聖堂(バリオス)
プレリュード・フーガ・アレグロBWV998(バッハ)
Hey Jude(レノン&マッカートニー)
And I love her
The fool on the hill
Eleanor Rigby
他です

どうぞよろしくお願いいたします。

私のHPでは、レッスンやCDについてなどメールフォームで問い合わせが出来るようにしました。

さっそく、CD「音彩」の注文をいただいています。全国から注文がくるととても嬉しく思います。どうぞHPもご活用くださいませ。




話が変わりますが、要町の駅で電車を待っていると小学生の二人が近くで電車を待っていました。見た目は今どきの子という感じです。

彼女たちが踊りながら歌っているのですが、その歌がなんともほほえましく思いました。

その曲とは・・・


アイネ・クライネ・ナハトムジークの第1楽章。モーツァルトの曲です。
結構大きな声で歌っていて、しかもヒップホップのように踊りながら・・。

距離も近かったので聴いていると、なんと、1楽章を最後まで歌いきっていました。すごいですね。

クラシック音楽はCMやテレビ番組でも沢山流れていますからね。生活の中に溶け込んでいるのは良いことです。

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