最近、報道をみていて気になるニュースがあります。
シリア情勢
アサド政権による化学兵器使用をアメリカが断定したというニュースがあり、近く、軍事制裁を行う可能性が示唆されていました。表立って軍事介入の意思を見せているのはアメリカとフランスで、イギリスは軍事介入について議会で否決されたと報道されていました。
肝心の日本はどういうスタンスなのか新聞を見てみると、アメリカに同調するという趣旨のことが書いてありました。
私は、イギリスの判断は良い判断だと思います。
イギリスもアメリカとは同盟関係にあると思いますが、イギリスが英断を下したことは国際的に賞賛されるべきことだと感じました。
そもそも、なぜ、アメリカが軍事介入しなければならないのか明確な理由はないと思います。かつては、世界の警察とも言われた国ですが、アメリカ国民が現在もそのような感覚を固持しているのならば、それは間違っていると思います。
よく考えてみれば、シリアの情勢は、あくまでも内政の乱れであり外交問題ではないのではないか・・・。そう考えると、軍事介入された場合には、断固として報復するとのシリアの方針は当然だと思います。
例えば、日本で考えてみた場合、戊辰戦争などで、それまでの国の体制を革新するために戦いが発生しましたが、それは自国を良くするための行動であったはずです。味方も敵も自分の国を良くするために考えが相反してしまっただけです。はたからみる場合、または、政権側から見れば相手は敵でありテロリストとなってしまうのです。
内政が乱れ、内戦が発生すれば、間接的には周辺諸国にも影響を与えてしまうことは否めないでしょう。しかし、それでもそれは内政問題です。
シリアで問題となっているのは化学兵器の使用であり、それは世界的に見ても許されないことだと思います。
しかし、内政の乱れで当事国内で使用された化学兵器問題に対して、遠く離れた国が半ば強引に軍事介入していくことは、これまた許されないことの気がします。
戦争を起こせば、シリアの市民は犠牲になり、多くの人々の生活が破壊されます。
オランダに国際司法裁判所があります。
これは、国際間の問題を裁くところですが、こういったところでシリアで起こっているような内政的な事例であっても、国際的に影響を与えるような問題は扱えるようにして、そこで議論をするのが良いのではないかと私は思います。
裁判も闘いです。
銃を持たなくても、筆をとって闘い、問題の解決を目指すべきだと思います。
そして、心配で不満に思うのは、日本の釈然としない姿勢。
自衛隊を充実させることは、東アジア諸国が挑発的な行動を取りつづけているため、日本の領土を守るためには仕方のないことだと思いますが、アメリカの方針に盲目的に追随しようとしているように見えることは良くないと思います。
原爆の日や終戦記念日の前後になると、戦争反対といったようなスローガンがよく見られますが、いま、まさに、アメリカから原爆や空襲を受けた国として、戦争の反対を強く謳うべきだと思います。
戦争のことを考えることを発言するような人たちも、こういう時にこそ声を上げるのが本当の平和に向けて必要なことではないでしょうか。
ベトナムやアフガン、イラクなどを見ても、アメリカは戦争を起こすと泥沼化させています。
戦争は反対です。
そして、日本政府にも信念を持って平和を考え直してほしいと思います。
突き詰めていけば、国民が戦争を反対すれば、政府も世論を無視できなくなります。
ケネディ大統領が言っていた、「国が国民のためになにをするかではなく、国民が国のためになにをするのかを考えてほしい」という内容を思い出しました。
新聞を読んでいて、このような雑感が頭から離れなくなったので書きました。
シリア情勢
アサド政権による化学兵器使用をアメリカが断定したというニュースがあり、近く、軍事制裁を行う可能性が示唆されていました。表立って軍事介入の意思を見せているのはアメリカとフランスで、イギリスは軍事介入について議会で否決されたと報道されていました。
肝心の日本はどういうスタンスなのか新聞を見てみると、アメリカに同調するという趣旨のことが書いてありました。
私は、イギリスの判断は良い判断だと思います。
イギリスもアメリカとは同盟関係にあると思いますが、イギリスが英断を下したことは国際的に賞賛されるべきことだと感じました。
そもそも、なぜ、アメリカが軍事介入しなければならないのか明確な理由はないと思います。かつては、世界の警察とも言われた国ですが、アメリカ国民が現在もそのような感覚を固持しているのならば、それは間違っていると思います。
よく考えてみれば、シリアの情勢は、あくまでも内政の乱れであり外交問題ではないのではないか・・・。そう考えると、軍事介入された場合には、断固として報復するとのシリアの方針は当然だと思います。
例えば、日本で考えてみた場合、戊辰戦争などで、それまでの国の体制を革新するために戦いが発生しましたが、それは自国を良くするための行動であったはずです。味方も敵も自分の国を良くするために考えが相反してしまっただけです。はたからみる場合、または、政権側から見れば相手は敵でありテロリストとなってしまうのです。
内政が乱れ、内戦が発生すれば、間接的には周辺諸国にも影響を与えてしまうことは否めないでしょう。しかし、それでもそれは内政問題です。
シリアで問題となっているのは化学兵器の使用であり、それは世界的に見ても許されないことだと思います。
しかし、内政の乱れで当事国内で使用された化学兵器問題に対して、遠く離れた国が半ば強引に軍事介入していくことは、これまた許されないことの気がします。
戦争を起こせば、シリアの市民は犠牲になり、多くの人々の生活が破壊されます。
オランダに国際司法裁判所があります。
これは、国際間の問題を裁くところですが、こういったところでシリアで起こっているような内政的な事例であっても、国際的に影響を与えるような問題は扱えるようにして、そこで議論をするのが良いのではないかと私は思います。
裁判も闘いです。
銃を持たなくても、筆をとって闘い、問題の解決を目指すべきだと思います。
そして、心配で不満に思うのは、日本の釈然としない姿勢。
自衛隊を充実させることは、東アジア諸国が挑発的な行動を取りつづけているため、日本の領土を守るためには仕方のないことだと思いますが、アメリカの方針に盲目的に追随しようとしているように見えることは良くないと思います。
原爆の日や終戦記念日の前後になると、戦争反対といったようなスローガンがよく見られますが、いま、まさに、アメリカから原爆や空襲を受けた国として、戦争の反対を強く謳うべきだと思います。
戦争のことを考えることを発言するような人たちも、こういう時にこそ声を上げるのが本当の平和に向けて必要なことではないでしょうか。
ベトナムやアフガン、イラクなどを見ても、アメリカは戦争を起こすと泥沼化させています。
戦争は反対です。
そして、日本政府にも信念を持って平和を考え直してほしいと思います。
突き詰めていけば、国民が戦争を反対すれば、政府も世論を無視できなくなります。
ケネディ大統領が言っていた、「国が国民のためになにをするかではなく、国民が国のためになにをするのかを考えてほしい」という内容を思い出しました。
新聞を読んでいて、このような雑感が頭から離れなくなったので書きました。