昨日(13日の深夜のため)の12日は、日航機のニュースや、東日本大震災の155日の記録などテレビで観ました。


日航機墜落事故から、もう26年も経つんですね。あの日のことは私なりに鮮明に覚えています。

1985年8月12日は、田舎から私のいとこ家族が遊びに来た日です。

 いとこたちが夕方過ぎだったと思いますが、私の家に到着してひと段落したところでテレビをつけるとあの飛行機が墜落したというニュースが大々的に流れていました。そのニュースをいとこ達も私の両親も固唾を呑んでみていました。

 いとこたちは、福岡から羽田まで飛行機で上京してきましたが、羽田でしばしの間羽を休め、彼らが乗っていた飛行機か、あるいはもう一本後の飛行機が再離陸していったのが、あの123便だったからです。

 その夏休みは、遊びにきた従弟と科学万博に遊びに行ったりしていました。
なんだかつい最近のような気持ちですが、そんな彼ももし生きていれば私と同じ歳。

 遊びに来た翌年に急逝してしまいましたが、お別れの時には、動かない彼の前で私も妹も一曲ずつギターを演奏しました。レッスンではおなじみの曲ですが、この曲に触れるたびに当時を思い出します。

 そして、彼を送り出す前に自分の中で彼と約束したのが、、、


「T君の分も僕が2人分頑張るからね」。


 旅立つ日の夕方までは元気よく学校でサッカーをやって遊んでいたそうです。一緒にサッカーをやっていた彼の友人が何度も名前を呼び続けていたのは今でも強く覚えています。



それから昨日そのほかに見たのが、東日本大震災の記録の番組。

2時46分に地震が発生し、6分というこれまでにない長時間揺れていたわけですが、そのあとも立て続けに2つ地震が起き、極めつけは3時10分過ぎの茨城沖の地震。これは私が住んでいる地域では一番強く感じましたよね。そんなことから最初の揺れから30分くらいは揺れ続けていた感覚を持っている人は多いかと思います。

地震当時の映像を見るといたたまれない気持ちになりますが、忘れてはいけない出来事だと思うとやはり視聴して記憶に刻んでおきたいと思います。

なんといっても絆は大事にしないといけないですね。