先日、常盤大学で演奏した後に教授から「この曲は最近のレパートリー?」と聞かれました。

 どの曲も、比較的弾きこんでいる曲ばかり演奏しているのですが、確かにその曲は中でも新しいレパートリーで、言い当てられたことにはとても驚きました。しかも自分の出来としては悪くなかったのに。



 ほかの曲は、弾きなれている曲ばかりなので、微妙な表現のコントロールは舞台の上でもほぼ思うようにすることが出来ます。ただ、その曲は派手さを出すというか、魅せる方に集中している感もあります。おそらく、その点の違いが伝わったということかもしれません。

 音楽をどう仕上げていくかということについて今日は考えてみたいと思います。
 先日の学生ギターコンクールでも感じたことですが、はじめのうちは表現を大きく表して、それからまとめあげていく方が良いかもしれません。細かいことにこだわりすぎると形ばかりが気になり、全体が小さくまとまってしまう懸念があります。
 もちろん、技術を荒っぽくやればよいという意味ではないのでその辺は勘違いのないように。


       ・・・    ・・・   ・・・   


 バルエコのレッスンでは、手や指の動きについていつも「太極拳のようにしなさい」と言われました。
すこし話は違いますが、中国拳法には外気拳と内気拳の二つがあります。外気拳とは筋肉や肉体を鍛えていくというもので、内気拳とは気を練っていくというものです。太極拳は後者です。

 ただ、外功を練る拳法でも修練のしかたでは内気拳にしていくことができるそうです。



       ・・・   ・・・   ・・・


このことは、音楽にも当てはまると思っています。

 エンターテイメントとして捉えた場合、音量や演奏でのアクションにおいて聴衆を魅了することは必要だと思います。そして、それを演出するのは比較的簡単にすることが出来るといっても良いと思います。

 ただ、そこから先ずっとそうやっていても真髄には近づくのが遅れてしまうわけで、内から出てくるものを素直に表現できるようになるのが必要になってくると思います。

 バルエコやレイチェスターのレッスンでも、まずは技術を徹底的に指導されましたが、曲の仕上げ段階になると胸を指差し「そこから演奏するように」と言われました。
 いわゆる演奏技術は外功で、心から出る表現が内功というわけですね。どちらが大事かというわけではなくて、どちらも大事だということです。

そして、どちらを先に習得しなければならないかというと、外功が先ですね。
演奏技術がなければ、自分の思う表現も出来ません。



以上のように、先日大学で演奏したある曲とは、まだまだ「外功」の段階なんだなと自覚しました。


昔の武道の達人は「2の打ち要らず」と言われた人がおり、その極地に行きついた人は、飛んだり跳ねたりという派手な技は必要なく、ただ一突きするだけでどんな相手も倒すことが出来たという事実が伝わっています。

武術と音楽を照らしながら書きましたが、ギターでも同じです。

技術をしっかりと学んでいったら、きれいな音を出すかどうかは自分の意識だけで自然に出てくるのです。

もちろんそこに至るまでは、長い年月を必要とするのでコツコツと積み重ねていくことが必要ですね。

僕もまだまだです。


まあ、深くは考えず、若い皆さんは元気に弾くことをまず心がけましょう!