アメリカの大学は2月が入試です。そして4月に合格者発表。手続きをして9月から学期が始まります。
自分が受験したのは1999年ですが、そのときはギター科の受験者は60人くらいでした。ピーボディ音楽院のギター科は約50名ほど学生がおり、教授は3名。レイ・チェスター、マヌエル・バルエコ、ジュリアン・グレイの各教授で、どなたもとても研究深くて勉強になります。特にギターの歴史、タブラチュア、そのほか学術的な知識はジュリアン・グレイは歩く辞書といっても良いくらいの教授です。そして、ギターのテクニックについての教授はレイ・チェスターの右に出るものはいないほど。マヌエル・バルエコは演奏家として貴重な指導をしてくれます。
私はバルエコのスタジオ(クラスという意味)に合格することが出来、幸運でした。バルエコのクラスだけは、人数に制限があって、常時6名しか教えていません。つまり、空きが出ないと募集しないということです。自分が受験したときは1名だけ枠があり、何とか入れたというわけです。
ピーボディ音楽院のギター科はアーロン・シェーラーが前に長年教授を務めており、現在の3名の教授はすべてシェーラーの生徒です。ですから、どの教授に習ってもシェーラーをもととした、ピーボディメソッドを研究出来ます。
そのほかに著名なピーボディ出身者は、デビッド・スタロビン、デビッド・タネンバウムなどがいます。そして、私の同級生とその前後には、フランコ・プラティノ、マーシャ・マスターズ、アナ・ビドビック、ベルタ・ロハスらがいます。ギターファンはこの中の一人くらいは名前を知っている方がいるかもしれません。
このとき受験したのはピーボディ音楽院のほかに南カリフォルニア大学のスコット・テナントやウィリアム・カネンガイザーのいるギター科も受け迷いましたが、バルエコに決めました。
やはり、バルエコが第一希望だったのと、出来れば日本人の少ないところで外国の空気を吸いたかったのでそこに決めました。同じ年の入学者で日本人では、どの楽器をあわせてもフルートの子一人だけがいるだけでした。
次回は学生生活について。
自分が受験したのは1999年ですが、そのときはギター科の受験者は60人くらいでした。ピーボディ音楽院のギター科は約50名ほど学生がおり、教授は3名。レイ・チェスター、マヌエル・バルエコ、ジュリアン・グレイの各教授で、どなたもとても研究深くて勉強になります。特にギターの歴史、タブラチュア、そのほか学術的な知識はジュリアン・グレイは歩く辞書といっても良いくらいの教授です。そして、ギターのテクニックについての教授はレイ・チェスターの右に出るものはいないほど。マヌエル・バルエコは演奏家として貴重な指導をしてくれます。
私はバルエコのスタジオ(クラスという意味)に合格することが出来、幸運でした。バルエコのクラスだけは、人数に制限があって、常時6名しか教えていません。つまり、空きが出ないと募集しないということです。自分が受験したときは1名だけ枠があり、何とか入れたというわけです。
ピーボディ音楽院のギター科はアーロン・シェーラーが前に長年教授を務めており、現在の3名の教授はすべてシェーラーの生徒です。ですから、どの教授に習ってもシェーラーをもととした、ピーボディメソッドを研究出来ます。
そのほかに著名なピーボディ出身者は、デビッド・スタロビン、デビッド・タネンバウムなどがいます。そして、私の同級生とその前後には、フランコ・プラティノ、マーシャ・マスターズ、アナ・ビドビック、ベルタ・ロハスらがいます。ギターファンはこの中の一人くらいは名前を知っている方がいるかもしれません。
このとき受験したのはピーボディ音楽院のほかに南カリフォルニア大学のスコット・テナントやウィリアム・カネンガイザーのいるギター科も受け迷いましたが、バルエコに決めました。
やはり、バルエコが第一希望だったのと、出来れば日本人の少ないところで外国の空気を吸いたかったのでそこに決めました。同じ年の入学者で日本人では、どの楽器をあわせてもフルートの子一人だけがいるだけでした。
次回は学生生活について。
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