昨日はボルチモア空港に着くまでを書きました。

アトランタで助けてくれた人は確か、スポーツメーカー・ミズノの方だったと記憶しています。


ボルチモア空港からボルチモア市街に行くには、何通りか方法があります。一番早いのはタクシー。チップも含めて、大体25ドルくらい。
しかし、アメリカで最初の乗り物は、電車と決めていました。

ボルチモアにはライトレールという、路面電車があります。それで、空港から市街まで行きました。しかし、乗客の雰囲気が怖い。結構治安の悪い地域を走るので、電車の中を警官が巡回しています。

私はレキシントンマーケットという駅で下車しました。ところが一駅手前で降りたのに気がつき、そこから歩いてピーボディまで向かいました。大体朝の10時くらいでしたが、結構怖かったのを覚えています。

20分ほど歩いて、ピーボディ音楽院に着きました。ここで、飛行機が欠航し、朝くることになった事に感謝しました。この学校は門が鉄格子で仕切られており、夜の間は入ることが出来なかったのです。もし、昨日何事もなく飛行機が飛んでいたら、、、、。

この怖いところで、何をしたら良いのか分からなくなっていたでしょう。その当時のボルチモアはかなり治安が悪かったらしく、1999年時点で、ボルチモア市のみでの殺人件数が、年間600件を超えていたんです。1日に約2人の殺人事件が起きていた計算です。

改めて、飛行機が欠航したこと。空港で日本人に助けられたことに感謝しました。



学校では、寮に滞在することになり、講習会の開会式とオリエンテーションが行われました。

初めて会う、バルエコにドキドキしながら、挨拶したときは感無量でした。

講習会の内容はまた、明日にします。