2011年06月

24日はA.R.C. のコンサートを池袋のイタリアンレストランのオリーブダイニングで。

そして、昨日は、茨城県小美玉市小川文化センターアピオスで演奏しました。ここは、「ダンゴでタンゴ」というネーミングのコンサートです。


どちらも早い段階から受付締め切りとなり、嬉しい限りでした。


7月31日が私たちの旗揚げ公演なのですが、すでにいくつかコンサートが終わっています。しかもどこも満員御礼という状況です。


そういえば、7月15日も茨城県大子町で再び演奏です。大子町は、福島県との県境に位置しており、袋田の滝のあるところですね。今度は、交通安全の関連イベントでの演奏で、300席以上のホールです。

みなさまお楽しみに!!

ここ数回、雑誌「ギタードリーム」に3重奏の編曲と添付CDの録音をしていますが、昨日もその録音がありました。

前号に掲載したきつね火の踊りに引き続き、同じく「恋は魔術師」からパントマイムを収録します。

ファリャの曲は、とても好きですが、アンサンブルの楽譜があまりないような気がします。

変拍子の曲なので、練習のしがいもある曲ですよ。

7月10日の発売です。

 バルエコ先生は、レッスンや音楽のことについては、生徒にとても厳しく、細かいことも要求する先生です。しかし、それは、生徒に本気で向き合っているからそうなるのであって、普段は非常に優しい人です。


 あるとき、妹が具合が悪くてレッスンを休んだ時、私はレッスンをいつもの様に受講しましたが、妹が来れないということを知ると、レッスン後にアパートに来てくれて病院に連れて行ってくれたのです。まさか、先生が連れて行ってくれるとは思っていなくて、病院でも医学的な難しい英語もあるので先生がかなり助けてくれました。



そういえば、自分も一度だけ優しくおおめにみてもらったことがありましたねぇ。

それは、バルエコ先生の誕生日にスタジオの生徒を集めてパーティーに呼んでもらった時の事。

 アウローラギターカルテットでいつも一緒だったラファエルとバルエコがサングリアというお酒を飲んでいました。結構甘い味のするアルコールで、自分もわけて貰うと、とても美味しかったので、つい進んでしまいました。

 それを見ていた先生とラファエルは、私が酒に弱いことを知ってるので、もう辞めておいた方がよいと言ってくれたのです。

ですが、時すでに遅し!


サングリアで初めての二日酔いを体験しました。


さらに、運が悪く翌日がバルエコ先生のレッスンだったのです。


妹に、胸がむかむかして頭が痛く具合が悪いから欠席すると伝えてもらいましたが、妹が帰宅すると、先生も他の学生も笑ってたよ、だという反応だったそうです。

休んだ理由が、風邪でもなく、前日のサングリアだったのがものの見事にお見通しで、逆に心配してくれていたのでした。

自分は「酒」が理由で休んだら、こっぴどく怒られると思っていましたが、先生の気遣いにはとても嬉しかった覚えがあります。


厳しいときは、本当に厳しいですが、本当に優しい先生だということが厳しさからも、また、日常の優しさからも感じることが出来ました。


バルエコ先生には、また、日本で演奏しとほしいなあと思います。

師匠のバルエコ先生は、ギターのことについてはとてもシビアで厳しく、しかし、その厳しさが今とても良い教えになっていて、とても良かったと日ごろ感じています。


レッスンが始まる前、レッスン室に招き入れてくれるまでは「ハイ、ケイシ~」と言ってとても優しいですが、調弦を終えて曲を弾き始めると先生も本気モードです。


バルエコ先生は、生徒の横ではなく正面に座ります。したがって、楽譜を置いている譜面台は私の方には向きません。先生の方に向いているので、当然のごとく暗譜が基本となります。これが、仕上がってくる頃の曲ならば良いのですが、弾き始めの曲となると、それはもう大変です。

不安な個所の譜面を見たくても、譜面台が反対を向いていて見えないのです。

自分が在籍した当時は、バルエコのスタジオは8名の生徒がいるのみで、自分と妹を除いた6名の中にはフランコ・プラティノやアナ・ビドビッチがいたので、本当に日々練習に明け暮れていましたね。


初年の最初のレッスンでは、「今の技術のまま音楽だけ習いたいか、あるいは、技術も僕の下で学びたいか?」と聞かれたので、迷わず「技術から学びたい」と申し出ました。

入試では、ウォルトンのバガテルやソルを弾いたのに、一からやり直しです。

最初のレッスンから2回目のレッスンまでは、開放弦だけでした。そして同時に出された指示が「与えた課題以外に曲を弾いてはいけない」です。

この期間は1カ月以上ありましたが、その間はスケールと簡単なアルペジオのエチュードです。そこで徹底的に右手の技術を教えてもらいました。アルアイレは自分は問題は少なく、課題となったのはオートネーション(交互に弾く時の動作)とアポヤンドです。曲を弾かないで集中的に直した期間は2カ月弱でなんとかなりましたが、もちろん、どの曲でも常に気をつけなければならないので、現在でもチェックしながら練習をします。


技術の基本的なことをあまり言われなくなったら、曲の中で運指を研究することがよくありました。指使いがほんの少し変わるだけで、雰囲気が大分変るときがあります。

同時にフレーズ感など歌い方なども事細かくバルエコ先生は指導してくださいました。

そこには、全く妥協がなく、手を抜くことを先生は嫌がっていましたね。とまあ、生徒は皆プロ志望かすでに演奏活動をしている人たちばかりなので当然ですが。

日ごろレッスンで先生はほとんど褒めてくれたことはありませんが、とても嬉しかったことが3度ありました。

一つ目は、テデスコのソナタを弾いていた時。
 ソナタをバルエコのマスタークラスで弾くことになっていたのですが、その2日前のレッスンで運指を大きく変更されました。しかし先生は「あさってのマスタークラスでは、とりあえずこれまでの運指で良いからね」と言われました。

 そう言われたら、何がなんでも新しいバルエコの運指に修正して弾こうと思い練習。
マスタークラスではなんとか弾くことが出来ました。クラスの場では先生は何も言いませんでしたが、終わった後、運指を修正して弾いたことに大変驚いてくれたようで、自分のことのように喜んでくれました。


二つ目は、これも同じくマスタークラスで。


そして、何よりも一番嬉しかったのは、卒業試験としてのリサイタルが終わった後、学校の中庭で先生と写真を撮っていたときに言ってくれた言葉。
「もう少し、学校を続けて僕のところでレッスンしない?」
と言われた時には、何よりにも増して嬉しかったという思い出があります。

時には「何をしたいの?」と先の選択を迫られるような厳しいことも言われたりすることもありましたが、すべて先生の優しさなんだなあと感じる。
そして、自分も頑張らなければいけないんだなあと何かあるごとに思いますね。

ついてきてくれる生徒さん達に感謝です!!

日が変わってしまいましたが、10日はA.R.C.のコンサートでした。
場所は、横浜市石川町の外交官の家。明治後期に建築された洋館(旧内田邸)で、もともとは渋谷に建てられたものを移築したそうです。重要文化財になっており、貴重な場所でのコンサートとなりました。


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定員は40名でしたが、数日前に定員に達してしまい、今日の入場者は50名まで増やして受け付けたということで、会場は超満員でした。しかも、予約受付を締め切ってからも多くの予約の問い合わせがあったようで、今日、ご来場頂くことが出来なかったお客様には大変申し訳なく思います。

また、次の演奏のときにご来場いただけましたらうれしく思います。


今日ご来場頂いた方のなかには、われわれの地元茨城から駆けつけてくれた人もいたようで、うれしい限りでした。


今日は、少しリハをしてから出発。すこし早めに着き、上階の部屋で休憩。この部屋は、半分屋根裏のような部屋で、在米中に住んでいたアパートを少し思い出しました。


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在米中、アパートは何度か引っ越しはしましたが、その中の一つに、最上階の屋根裏のような部屋を借りていたことがありました。住んでいたアパートは、築100年位は経っていたもので、1900年初頭の写真集にも載っているので、歴史を感じさせる外見と内装でした。

今日の外交官の家も、築年数はそのアパートと同じで、しかも屋根裏の部屋というのが、なんとも自分の中でマッチしてしまい、一見なんて事のない写真を撮って、楽しんでいました。



プログラムは、7日のブログの通りです。
http://blogs.yahoo.co.jp/kcsumi/archive/2011/6/7


お客様のノリも非常に良くて、弾いている私たちも楽しく演奏することが出来ました。


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今月は,
A.R.C.のコンサートがあと2度あります。


どうぞ、皆様ご来場ください。

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