アメリカの大学では学内でバイトをすることが出来ます。留学生にとってはそれが唯一の合法で働ける手段。ピーボディ音楽院に在学中、もちろん私もしました。

音大では、バイトの職種で、コンサートのチケットもぎり、オーケストラの裏方、チケットセンターの受付、図書館など将来音楽関係で就職するにはもってこいの経験が出来るバイトもありました。

まず、私が最初にしたのは、オーケストラの裏方。私はギターが専攻なので、オーケストラコンサート当日の裏方はさせてもらえず(オケの楽器をしている学生が優先でした)リハーサルの椅子のセッティングなどでした。

そのあとにしたのは学内のポストオフィスの仕分け。郵便局ですね。何を隠そう、高校の時分地元で年賀状配達のバイトをしたことがある私にとっては、得意分野でした。アメリカ人と競争したことがあったけど、負けなかったです。

よく、学生のポストにCDが送られてきてました。いろいろと友人に聞いたところ、BMGというレコード会社で通販をやっており、1ドルで12枚のCDが買えるというものです。早速私も入会して買いました。毎月小冊子が送られてきて、その中から選んでしか買えませんが、ラッセルやセゴビア、ヒラリー・ハーンさらにミドリまでそれで手に入れることが出来ました。お徳でしょ!

一人一回しかこのサービスは利用できないんですが、後にアパートに移った私は新しい住所で再び利用させてもらったのでした。

バイトの話に戻りますが、夏休みは学校のメンテナンスもやってみました。最初にやらされたのが、壁にペンキを塗っていく作業。ひとフロアー終えるのに3日くらいかかりましたね。これの時給が良くて、8ドル50セントでした。一緒に作業していた人は、ヴァイオリンを横に携えて、ペンキ塗りに疲れたらヴァイオリン弾いて休んでました。すごい、、。日本だったらくびですね。

学外でも音楽関係のことなら仕事をすることが出来ます。もちろん学校の許可が必要です。



卒業したあと、よくやっていたのは結婚式やパーティでの演奏。

結婚式で最悪の思い出があります。。。それは。。。
式で新婦が入退場するときに1曲ずつ弾いたんですね。もちろんこれは新郎新婦があらかじめリクエストしていた曲。このときはヴァイオリンの人とデュオでした。2-3日前に演奏の要請が入り、相方とは当日会場で会います。そこで、数分リハーサルをやって本番です。私たちは客席の後ろに場所を設けられ、セッティングしました。これが後に大問題に、、。

入場は何事もなくうまくいきました。
ところが退場で問題が、、、。

このカップルはユダヤ人でした。ユダヤ人の結婚式は変わってて、誓いの言葉が終わり退場の寸前になると小皿を新郎が床に叩きつけて割るんです。それがユダヤの風習。

その割る音はこちらまで聞こえました。普通はそこで間髪入れず演奏を始めれば、めでたしめでたしで終了です。
ところが、そのときは割ったあとに牧師がまた一言話を始めたんです。「そんなこと聞いてないよー!!」
その話を聞いているとき、招待客および親族は全員立っていました。皿を割ったのでそこで全員起立するのが流れだったのです。

皆が起立しているし、牧師が話してしまったため、完全に新郎新婦の退場し始めるタイミングが分からなくなりました。そう、私とヴァイオリニストは座って演奏していたからです。気がついたら人の壁からすり抜けるようにして退場していくお2人が、、、。

急いでヴァイオリンが合図をして曲をはじめましたが、カップルが会場を出る直前だったので、アウトー!

逆に経っている人たちが驚いたようにこちらを見ました。

そんなかんだで終わって帰ると、相方のヴァイオリン奏者が始末書を書かされていました。たまたまこのときのリーダーは彼に指名されていたので私は助かりました。しかし、会場で演奏場所を指定して誘導した職員もかなりひどく怒られたようでした。


いい経験になりました。

アメリカでの授業は初めは物凄く簡単でした。

音楽理論なども初めは、シャープがないのはハ長調です、といった具合。「ええ、大学なのにこんなにかんたんなの?」と思いながら受講してました。

アメリカは小学校から既に格差のある教育がされています。ワシントンのとてもいい地区では、小学生なのに、中学生なみの内容を学校で勉強しています。逆に、貧困層の多い地域では、中一でも簡単な掛け算、割り算が出来ないほどです。そんなものから比べれば今の日本の格差問題はかわいいものです。

簡単だなと油断して授業に通っていると、2ヶ月目くらいから一気に難しくなりました。

おおお、何でそんなに飛躍してレベルが上がるんだー、といった感じです。しかも宿題の嵐。日本で大学でぬくぬくとしていた私は、崖っぷちに追い込まれた気分でした。
とにかくアメリカの大学生は勉強します。とうより、勉強しなくてはならない環境になります。例えば、一日の予定を簡単に書くと、


9:30-10:20 音楽理論
10:30-11:20 イヤートレーニング
13:00-14:00 ギタースキルズ
14:00-15:00 バルエコのレッスン
15:30-17:00 ギターセミナー
17:00-18:00 チェンバーミュージック

といった具合。
こんなのが毎日です。しかも演奏の授業では、ソロのほかにギターアンサンブル、チェンバーミュージック(フルート&ギター)、ギター&ピアノ、ソプラノ&ギターで同時にやっていた時期もあり、練習だけで寮の食事を6時に食べてから練習をはじめて、気がついたら夜中だったということもしばしばでした。

でも、学生生活最初の頃、一番の問題は英語でした。なにせ、何とかなるでしょ、と安易な考えで渡米したので、英語での苦労も多かったです。それでは、それはまた次回。

アメリカの大学は2月が入試です。そして4月に合格者発表。手続きをして9月から学期が始まります。

自分が受験したのは1999年ですが、そのときはギター科の受験者は60人くらいでした。ピーボディ音楽院のギター科は約50名ほど学生がおり、教授は3名。レイ・チェスター、マヌエル・バルエコ、ジュリアン・グレイの各教授で、どなたもとても研究深くて勉強になります。特にギターの歴史、タブラチュア、そのほか学術的な知識はジュリアン・グレイは歩く辞書といっても良いくらいの教授です。そして、ギターのテクニックについての教授はレイ・チェスターの右に出るものはいないほど。マヌエル・バルエコは演奏家として貴重な指導をしてくれます。

私はバルエコのスタジオ(クラスという意味)に合格することが出来、幸運でした。バルエコのクラスだけは、人数に制限があって、常時6名しか教えていません。つまり、空きが出ないと募集しないということです。自分が受験したときは1名だけ枠があり、何とか入れたというわけです。

ピーボディ音楽院のギター科はアーロン・シェーラーが前に長年教授を務めており、現在の3名の教授はすべてシェーラーの生徒です。ですから、どの教授に習ってもシェーラーをもととした、ピーボディメソッドを研究出来ます。

そのほかに著名なピーボディ出身者は、デビッド・スタロビン、デビッド・タネンバウムなどがいます。そして、私の同級生とその前後には、フランコ・プラティノ、マーシャ・マスターズ、アナ・ビドビック、ベルタ・ロハスらがいます。ギターファンはこの中の一人くらいは名前を知っている方がいるかもしれません。

このとき受験したのはピーボディ音楽院のほかに南カリフォルニア大学のスコット・テナントやウィリアム・カネンガイザーのいるギター科も受け迷いましたが、バルエコに決めました。

やはり、バルエコが第一希望だったのと、出来れば日本人の少ないところで外国の空気を吸いたかったのでそこに決めました。同じ年の入学者で日本人では、どの楽器をあわせてもフルートの子一人だけがいるだけでした。

次回は学生生活について。

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